2019.08.19
GLAY25周年を記念するムック本「DEMOCRACY 25TH BOOK(※1)」が7月31日の“GLAYの日”に発売された。4人の最新ロングインタビューや、各界の著名人たちからの25周年お祝いメッセージなどもフィーチャーされ、A3両面のピンナップ付きという豪華仕様。GLAYの歩みや節目となった出来事、GLAYというバンドのライフイベントを振り返り、その出来事の持つ意味やそこに込めたメンバーの意思、シーンに与えた影響などをメンバー自身の言葉と貴重な写真の数々で検証し、ていねいに綴った一冊だ。
デビュー時からずっと応援してきた人にはGLAYとの25年間がよみがえる一冊であろうし、最近GLAYを知ったという人にとっては(デビュー時にはまだ生まれてなかったという人もきっといますよね?)、彼らの軌跡をきちんとたどるための信頼すべきガイドとなるはず。とはいえ、この「DEMOCRACY 25TH BOOK」は単に過去の足跡をファイルしただけのものではなく、あくまで主軸は今年5月の記者会見で発表された“7つの公約”。例えば、公約4の章では「令和初15thオリジナルアルバム(※2)」への期待と、その指針となるこれまでの作品におけるTAKUROの歌詞の世界観を分析。公約6の章では「25周年ベスト・アルバムリリース(『REVIEW Ⅱ』)」に関して、そもそも『REVIEW(※3)』とはどういう意味を持つベスト盤なのかを解説しつつ、『REVIEW Ⅱ』がどんなものになりそうかの期待値を占ったり。公約7の章では「25周年総括の海外ロングツアー&ドームツアー開催予定」を推測するべく、過去の海外ライブとドームツアーについて豊富な写真をまじえて振り返っている。
すべて、これからのGLAYの活動をより理解するために、これまでのGLAYをおさらいするというのが主旨。彼らの過去を未来へと繋げていくガイドブックのようなものなので、決して昔を懐かしむだけのアイテムではなく、むしろこれからのGLAYを見たいという人にとっての必携ガイドだと言えるだろう。そんな「DEMOCRACY 25TH BOOK」の流れを踏まえ、GLAYの25年の歩みに改めて触れつつ、GLAYというバンドの成り立ちを追ってみたいと思う。
GLAYがデビューしたのは1994年。X JAPANのYOSHIKI(※4)が設立したインディーズレーベル“エクスタシー・レコード(※5)”からアルバム『灰とダイヤモンド(※6)』をリリースしたのに続き、同年やはりYOSHIKIが設立したメジャー・レーベル“PLATINUM RECORDS(※7)”の第一弾アーティストとしてメジャー・デビュー。当時の宣伝資料には「抜群のメロディーラインとポップなセンスが魅力な個性あふれる超有望新人バンド」とある。当時はまだヴィジュアル系というカテゴリーができたばかりの頃で、出てくる新人は一癖も二癖もあるようなバンドばかりだった。難解で異端、死や絶望を耽美に歌うことがヴィジュアル系の王道だった中、GLAYの音楽には“若さゆえの迷いやありあまるエネルギー”“ヴィジュアル系ならではの毒”はあったものの、過剰な苦悩やネガティブさ、悲観的な闇・病み成分はなかった。愛や友情、音楽への情熱…そんなものがベースになっていて、楽曲もリスナーの胸にスッと入ってくる秀逸なメロディーが最大の魅力。そこは今も変わらないGLAYの持ち味なのだと思う。
メジャー1stアルバム『SPEED POP(※8)』、2nd『BEAT out!(※9)』、3rd『BELOVED(※10)』とハイペースな作品制作を経て、GLAYの音楽性は早くも一つの完成形を成す。1stアルバム取材時には「今のGLAYが目指しているところはSPEEDとPOP」(TAKURO)、2ndアルバム取材時には「やっぱり重要なのはBEAT」(JIRO)と語り、まずはGLAYサウンドを固めたところで、3rdアルバム取材時には「自分にとって大事なものを歌いたい」(TAKURO)と歌詞の世界観と方向性も定まった。人生にはうまくいかない事や時期、別れなど悲しい出来事があるのが当たり前で、それでも前を向こうとする強さと優しさを歌うのがGLAY。非日常的な世界観が主流だった当時のヴィジュアル系ムーヴメントの中にあって、彼らは人として真っ当な感情を正面から歌える希有なバンドだった。
取材時の思い出といえば、バンド内のパワーバランスが対等で、メンバー間の遠慮みたいなものもなく、お互いにリスペクトしているのだなと感じられたのも印象に残っている。一般的に作品インタビューの場ではたいてい作曲者ばかりが喋ることになって、他のメンバーの発言といったら「デモに入ってたフレーズの通りにやりました」くらいなことが多いのだが、GLAYの場合は作者であるTAKUROが楽曲のイメージや曲に込めた思いなどを説明してくれるのはもちろん、他のメンバーもその曲に対して何を感じてどうアプローチしたかなど、自分の意見をしっかり語ってくれる。全員の当事者意識がしっかりしているのだ。なので、GLAYの民主主義宣言は何も今に始まったことではなく、デビュー当時からずっとそうだったじゃんと個人的には思っている。
これは余談になるが、メンバー4人の仲の良さも印象深い。PVでは雪景色の中で演奏していた「Winter,again(※11)」について話を聞いた時、4人が真顔で「関東以南の人は“雪ってロマンティック”なんて言うけど、北海道の人間にとっては死活問題」と口を揃え、「TERUなんか雪かきしてた時に屋根から雪だまりに飛び降りて、埋もれて死にかけた」とか「でっかい氷柱が落ちてきて死にかけた」など大盛り上がりになり、さすが高校時代からの友達なんだなぁと感心した記憶もある。
4人全員がそれぞれ違う個性をもち、それをお互いにリスペクトし、雑誌やポスターには同じ大きさで写真に並ぶ。そんなバンドはそれほど多くない。ロックバンドではたいがいボーカリストとギタリストのトップ2がバンドの花形で、他のメンバーは縁の下の力持ち的な存在になりがち。しかもGLAYの場合リーダーであるTAKUROがソングライターなこともあり、彼のワンマンバンド的な見え方になってしまう懸念もあった。だが昔から彼らのライブでは、4人への歓声の大きさに偏りはなく、とくに「BURST(※12)」ではそれぞれがオーディエンスから全力のエネルギーを浴びる。GLAYはデビュー当初から、バンド内での役割や発言力、存在意義など平等なバンドだったのだ。
『REVIEW』がリリースされた1997年、取材の中でTAKUROは「聴いてくれる人が増えたのは嬉しいけど、本人たちが乗ってないのに御神輿が勝手に走り出しちゃったような感じがある。より気持ちを引き締めていかないと」と心境を語った。そしてTERUも「200万枚(取材時での枚数)も売れたのはもちろん嬉しいし感謝している」と前置きした上で「でも、これまで発表した作品の中でいちばん売れてるのがベスト盤っていうのは悔しい気持ちもある。オリジナルのアルバムで『この作品でGLAYを好きになりました』『この作品からGLAYを聴き始めました』と言わせたい。次の作品ではそういうものを目指したい。ベスト盤だけ聴いてOKというふうにはしたくない」と、やはり未来を見据えての発言をしていたことをよく覚えている。慢心することなく、つねにもっといいものを目指すという姿勢は見事に結実し、4th『pure soul(※13)』はダブルミリオンを記録。その勢いのまま、1999年7月31日には幕張メッセ駐車場特設ステージにて20万人を集めた「GLAY EXPO '99 SURVIVAL(※14)」を開催。日本の音楽史に残る伝説的ライブを大成功させたのだった。
1999年10月にリリースされた5thアルバム『HEAVY GAUGE(※15)』は、GLAYにとって転機ともいえる作品。デビューから『pure soul』の時期までのTAKUROは“人との出会いや別れ、信頼や絆”について語ることが多く、それはストレートにGLAYの歌詞に反映されていた。が、『HEAVY GAUGE』制作のタイミングあたりからは“なぜこんなにやりきれない事件が次々と起こるのか”“日本にいる僕たちには信じられないような事が世界にはたくさんある”など、自分たちの外に目を向けた発言が増えてきた。デビューから初期の彼らにとって、GLAYが歌うべきテーマは身近な友人や仲間、家族など自分たちの周りにいる大切な人たちとの関わりだったのだと思うが、バンドがビッグになり、応援してくれる人の数やライブのスケールが拡大したことと比例して、そこから見える景色も変わってきたのだろうし、GLAYというバンドができることや影響力、作品への責任などの自覚も芽生えてきたのだと思う。それに伴って歌詞のテーマや問題意識も変化してきたのがこの時期。そもそもGLAYにとっての音楽は、「I'm in Love(※16)」に象徴されるように“みんなで心を一つにして楽しめるもの・愛情・癒やし”の要素が根底にあるが、そこへ新たに“何かを発信する”という視点やメッセージ性が加わったのは『HEAVY GAUGE』からだった。
その時々に感じること・考えていることを音楽で伝えるという点では、GLAYのアーティストとしての姿勢はその後もずっと変わらない。2001年の「GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”(※17)」でアジアのアーティストたちと共演したのをはじめ、2002年の中国・北京公演を皮切りに、アメリカ、台湾、香港でもライブを行うなど(今年6月には初の韓国・ソウル公演も)、ワールドワイドな視点をもって活動してきた。2009年と2012年に行われた大型ライブ「HOTEL GLAY(※18)」では、“ホテルのような素晴らしいホスピタリティで、訪れたファンに最高のおもてなしをする”というコンセプトのもと、会場となった土地のチームやホテルとコラボするなど、ファンへの感謝や愛情を具現化。また、デビュー20周年のタイミングで行われた「GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary(※19)」では、ひとめぼれスタジアム宮城にGLAY東北史上最大の5万5千人を動員し、TERUがシングルとしては初めて作詞作曲を手がけた「BLEEZE(※20)」をテーマソングに、東北の復興を願う気持ちをライブという形で表現した。
このように大物バンドならではの活動もある一方、ミクロの視点も失っていないのがGLAYのGLAYらしいところだ。社会問題や世相風刺を歌う楽曲と同列で、人生の機微や家族のつながりなどを描いた普遍的な楽曲も彼らのアルバムには並ぶ。しかも、メンバー自身や同世代の友人が歳を重ねたことでリアルに見えてきた感情--誰かの子供という立場から、人生の伴侶を得て、今度は誰かの親になる--そこで実感した思いがより深みを増した形で楽曲に注ぎ込まれている。GLAYの音楽を聴き続けることは、現代という同じ時代を生きる彼らのライフログを共有するような体験なのである。
TAKURO以外の3人による楽曲は以前からアルバムには収録されていたが、それを対等なポジションで1曲ずつ収録した2011年のシングル「G4・Ⅱ -THE RED MOON-(※21)」は、GLAYの民主主義をわかりやすい形で打ち出したという意味で節目となる作品だった。そして、2017年の14thアルバム『SUMMERDELICS(※22)』では、HISASHI4曲、TAKURO4曲、JIRO3曲、TERU3曲と、4人の楽曲がほぼ均等に収録されている。それまでのアルバムは収録曲の大半がTAKURO曲だったことを考えると、4人の個性が炸裂しているこのアルバムの在り方が今回の“バンドって民主主義”宣言に繋がっているような気がする。GLAYの民主主義の顕れも、時代を経るにつれ徐々に進化しているのだなぁと思う(令和初15thオリジナルアルバムは、TAKUROの世界観を中心に据えた作品になるらしいけれど)。
民主主義といえば、公約。皆さまの代表として民意を実現していくわけだから、“(当選した暁には)○○を○○します!”と約束するのは必定だ。が、しかし、それを守れるかどうかは100%とは限らない。なぜならバンドの公約の場合、いくら誰か一人がやる気だったとしても全員が心を一つにして臨まなければ作品やライブは作れないし、仮にメンバー全員がやる気だったとしても、スタッフやファンの力がなければそれは形にならないからだ。
今回、GLAYの公的な約束と聞いて“TERUの白いジャケット”のエピソードを思い出した人も多かったのではないだろうか。2005年の東京ドーム公演でTERUは衣装の白いジャケットをマイクスタンドにかけ、「10年後、このステージにこのジャケットを絶対取りに来るから」とファンに約束していた。そして、約束の2015年に行われた東京ドーム公演でTERUは「僕たちはこれからもずっとずっと、約束を守るバンドとして活動していきます。絶対に解散はしません! 僕たちはひとつひとつ約束を叶えながら、また、新しい約束を胸にずっと活動をしていきたいと思います」と宣言。これ以外にもGLAYはライブなどで何度かファンに約束をし、その度に守ってきた。それができたのはひとえに彼ら自身の飽くなき探究心と向上心、努力あればこそだと思うが、前にも書いた通りバンドだけの頑張りでは実現しない。
「DEMOCRACY 25TH BOOK」の冒頭にも掲げられた“GLAYとは、民主主義である”宣言にもあるように、“GLAYは4人では完成しない。ファンとともにGLAYを築き、25年という歳月をともに越えてきた”ということを誰よりも実感し感謝しているのは彼ら自身。そして、これからもファンたちがGLAYを構成する一人として力を注いでくれることを信じているのだろうと思う。GLAYというバンドは25年の間に大きな影響力を身につけ、表現の幅も広げ、よりグローバルな視点を獲得してきた。が、実のところその核となる部分や志はデビューの頃から何一つ変わっていないようにも見える。むしろ年月とともに吹っ切れたぶんの強さは増しているかもしれない。四半世紀の活動の中で得た確信を手に、GLAYは26年目以降の未来も“同志”たちと一歩一歩進んでいくのだろうと思っている。
デビュー時からずっと応援してきた人にはGLAYとの25年間がよみがえる一冊であろうし、最近GLAYを知ったという人にとっては(デビュー時にはまだ生まれてなかったという人もきっといますよね?)、彼らの軌跡をきちんとたどるための信頼すべきガイドとなるはず。とはいえ、この「DEMOCRACY 25TH BOOK」は単に過去の足跡をファイルしただけのものではなく、あくまで主軸は今年5月の記者会見で発表された“7つの公約”。例えば、公約4の章では「令和初15thオリジナルアルバム(※2)」への期待と、その指針となるこれまでの作品におけるTAKUROの歌詞の世界観を分析。公約6の章では「25周年ベスト・アルバムリリース(『REVIEW Ⅱ』)」に関して、そもそも『REVIEW(※3)』とはどういう意味を持つベスト盤なのかを解説しつつ、『REVIEW Ⅱ』がどんなものになりそうかの期待値を占ったり。公約7の章では「25周年総括の海外ロングツアー&ドームツアー開催予定」を推測するべく、過去の海外ライブとドームツアーについて豊富な写真をまじえて振り返っている。
すべて、これからのGLAYの活動をより理解するために、これまでのGLAYをおさらいするというのが主旨。彼らの過去を未来へと繋げていくガイドブックのようなものなので、決して昔を懐かしむだけのアイテムではなく、むしろこれからのGLAYを見たいという人にとっての必携ガイドだと言えるだろう。そんな「DEMOCRACY 25TH BOOK」の流れを踏まえ、GLAYの25年の歩みに改めて触れつつ、GLAYというバンドの成り立ちを追ってみたいと思う。
GLAYがデビューしたのは1994年。X JAPANのYOSHIKI(※4)が設立したインディーズレーベル“エクスタシー・レコード(※5)”からアルバム『灰とダイヤモンド(※6)』をリリースしたのに続き、同年やはりYOSHIKIが設立したメジャー・レーベル“PLATINUM RECORDS(※7)”の第一弾アーティストとしてメジャー・デビュー。当時の宣伝資料には「抜群のメロディーラインとポップなセンスが魅力な個性あふれる超有望新人バンド」とある。当時はまだヴィジュアル系というカテゴリーができたばかりの頃で、出てくる新人は一癖も二癖もあるようなバンドばかりだった。難解で異端、死や絶望を耽美に歌うことがヴィジュアル系の王道だった中、GLAYの音楽には“若さゆえの迷いやありあまるエネルギー”“ヴィジュアル系ならではの毒”はあったものの、過剰な苦悩やネガティブさ、悲観的な闇・病み成分はなかった。愛や友情、音楽への情熱…そんなものがベースになっていて、楽曲もリスナーの胸にスッと入ってくる秀逸なメロディーが最大の魅力。そこは今も変わらないGLAYの持ち味なのだと思う。
メジャー1stアルバム『SPEED POP(※8)』、2nd『BEAT out!(※9)』、3rd『BELOVED(※10)』とハイペースな作品制作を経て、GLAYの音楽性は早くも一つの完成形を成す。1stアルバム取材時には「今のGLAYが目指しているところはSPEEDとPOP」(TAKURO)、2ndアルバム取材時には「やっぱり重要なのはBEAT」(JIRO)と語り、まずはGLAYサウンドを固めたところで、3rdアルバム取材時には「自分にとって大事なものを歌いたい」(TAKURO)と歌詞の世界観と方向性も定まった。人生にはうまくいかない事や時期、別れなど悲しい出来事があるのが当たり前で、それでも前を向こうとする強さと優しさを歌うのがGLAY。非日常的な世界観が主流だった当時のヴィジュアル系ムーヴメントの中にあって、彼らは人として真っ当な感情を正面から歌える希有なバンドだった。
取材時の思い出といえば、バンド内のパワーバランスが対等で、メンバー間の遠慮みたいなものもなく、お互いにリスペクトしているのだなと感じられたのも印象に残っている。一般的に作品インタビューの場ではたいてい作曲者ばかりが喋ることになって、他のメンバーの発言といったら「デモに入ってたフレーズの通りにやりました」くらいなことが多いのだが、GLAYの場合は作者であるTAKUROが楽曲のイメージや曲に込めた思いなどを説明してくれるのはもちろん、他のメンバーもその曲に対して何を感じてどうアプローチしたかなど、自分の意見をしっかり語ってくれる。全員の当事者意識がしっかりしているのだ。なので、GLAYの民主主義宣言は何も今に始まったことではなく、デビュー当時からずっとそうだったじゃんと個人的には思っている。
これは余談になるが、メンバー4人の仲の良さも印象深い。PVでは雪景色の中で演奏していた「Winter,again(※11)」について話を聞いた時、4人が真顔で「関東以南の人は“雪ってロマンティック”なんて言うけど、北海道の人間にとっては死活問題」と口を揃え、「TERUなんか雪かきしてた時に屋根から雪だまりに飛び降りて、埋もれて死にかけた」とか「でっかい氷柱が落ちてきて死にかけた」など大盛り上がりになり、さすが高校時代からの友達なんだなぁと感心した記憶もある。
4人全員がそれぞれ違う個性をもち、それをお互いにリスペクトし、雑誌やポスターには同じ大きさで写真に並ぶ。そんなバンドはそれほど多くない。ロックバンドではたいがいボーカリストとギタリストのトップ2がバンドの花形で、他のメンバーは縁の下の力持ち的な存在になりがち。しかもGLAYの場合リーダーであるTAKUROがソングライターなこともあり、彼のワンマンバンド的な見え方になってしまう懸念もあった。だが昔から彼らのライブでは、4人への歓声の大きさに偏りはなく、とくに「BURST(※12)」ではそれぞれがオーディエンスから全力のエネルギーを浴びる。GLAYはデビュー当初から、バンド内での役割や発言力、存在意義など平等なバンドだったのだ。
『REVIEW』がリリースされた1997年、取材の中でTAKUROは「聴いてくれる人が増えたのは嬉しいけど、本人たちが乗ってないのに御神輿が勝手に走り出しちゃったような感じがある。より気持ちを引き締めていかないと」と心境を語った。そしてTERUも「200万枚(取材時での枚数)も売れたのはもちろん嬉しいし感謝している」と前置きした上で「でも、これまで発表した作品の中でいちばん売れてるのがベスト盤っていうのは悔しい気持ちもある。オリジナルのアルバムで『この作品でGLAYを好きになりました』『この作品からGLAYを聴き始めました』と言わせたい。次の作品ではそういうものを目指したい。ベスト盤だけ聴いてOKというふうにはしたくない」と、やはり未来を見据えての発言をしていたことをよく覚えている。慢心することなく、つねにもっといいものを目指すという姿勢は見事に結実し、4th『pure soul(※13)』はダブルミリオンを記録。その勢いのまま、1999年7月31日には幕張メッセ駐車場特設ステージにて20万人を集めた「GLAY EXPO '99 SURVIVAL(※14)」を開催。日本の音楽史に残る伝説的ライブを大成功させたのだった。
1999年10月にリリースされた5thアルバム『HEAVY GAUGE(※15)』は、GLAYにとって転機ともいえる作品。デビューから『pure soul』の時期までのTAKUROは“人との出会いや別れ、信頼や絆”について語ることが多く、それはストレートにGLAYの歌詞に反映されていた。が、『HEAVY GAUGE』制作のタイミングあたりからは“なぜこんなにやりきれない事件が次々と起こるのか”“日本にいる僕たちには信じられないような事が世界にはたくさんある”など、自分たちの外に目を向けた発言が増えてきた。デビューから初期の彼らにとって、GLAYが歌うべきテーマは身近な友人や仲間、家族など自分たちの周りにいる大切な人たちとの関わりだったのだと思うが、バンドがビッグになり、応援してくれる人の数やライブのスケールが拡大したことと比例して、そこから見える景色も変わってきたのだろうし、GLAYというバンドができることや影響力、作品への責任などの自覚も芽生えてきたのだと思う。それに伴って歌詞のテーマや問題意識も変化してきたのがこの時期。そもそもGLAYにとっての音楽は、「I'm in Love(※16)」に象徴されるように“みんなで心を一つにして楽しめるもの・愛情・癒やし”の要素が根底にあるが、そこへ新たに“何かを発信する”という視点やメッセージ性が加わったのは『HEAVY GAUGE』からだった。
その時々に感じること・考えていることを音楽で伝えるという点では、GLAYのアーティストとしての姿勢はその後もずっと変わらない。2001年の「GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”(※17)」でアジアのアーティストたちと共演したのをはじめ、2002年の中国・北京公演を皮切りに、アメリカ、台湾、香港でもライブを行うなど(今年6月には初の韓国・ソウル公演も)、ワールドワイドな視点をもって活動してきた。2009年と2012年に行われた大型ライブ「HOTEL GLAY(※18)」では、“ホテルのような素晴らしいホスピタリティで、訪れたファンに最高のおもてなしをする”というコンセプトのもと、会場となった土地のチームやホテルとコラボするなど、ファンへの感謝や愛情を具現化。また、デビュー20周年のタイミングで行われた「GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary(※19)」では、ひとめぼれスタジアム宮城にGLAY東北史上最大の5万5千人を動員し、TERUがシングルとしては初めて作詞作曲を手がけた「BLEEZE(※20)」をテーマソングに、東北の復興を願う気持ちをライブという形で表現した。
このように大物バンドならではの活動もある一方、ミクロの視点も失っていないのがGLAYのGLAYらしいところだ。社会問題や世相風刺を歌う楽曲と同列で、人生の機微や家族のつながりなどを描いた普遍的な楽曲も彼らのアルバムには並ぶ。しかも、メンバー自身や同世代の友人が歳を重ねたことでリアルに見えてきた感情--誰かの子供という立場から、人生の伴侶を得て、今度は誰かの親になる--そこで実感した思いがより深みを増した形で楽曲に注ぎ込まれている。GLAYの音楽を聴き続けることは、現代という同じ時代を生きる彼らのライフログを共有するような体験なのである。
TAKURO以外の3人による楽曲は以前からアルバムには収録されていたが、それを対等なポジションで1曲ずつ収録した2011年のシングル「G4・Ⅱ -THE RED MOON-(※21)」は、GLAYの民主主義をわかりやすい形で打ち出したという意味で節目となる作品だった。そして、2017年の14thアルバム『SUMMERDELICS(※22)』では、HISASHI4曲、TAKURO4曲、JIRO3曲、TERU3曲と、4人の楽曲がほぼ均等に収録されている。それまでのアルバムは収録曲の大半がTAKURO曲だったことを考えると、4人の個性が炸裂しているこのアルバムの在り方が今回の“バンドって民主主義”宣言に繋がっているような気がする。GLAYの民主主義の顕れも、時代を経るにつれ徐々に進化しているのだなぁと思う(令和初15thオリジナルアルバムは、TAKUROの世界観を中心に据えた作品になるらしいけれど)。
民主主義といえば、公約。皆さまの代表として民意を実現していくわけだから、“(当選した暁には)○○を○○します!”と約束するのは必定だ。が、しかし、それを守れるかどうかは100%とは限らない。なぜならバンドの公約の場合、いくら誰か一人がやる気だったとしても全員が心を一つにして臨まなければ作品やライブは作れないし、仮にメンバー全員がやる気だったとしても、スタッフやファンの力がなければそれは形にならないからだ。
今回、GLAYの公的な約束と聞いて“TERUの白いジャケット”のエピソードを思い出した人も多かったのではないだろうか。2005年の東京ドーム公演でTERUは衣装の白いジャケットをマイクスタンドにかけ、「10年後、このステージにこのジャケットを絶対取りに来るから」とファンに約束していた。そして、約束の2015年に行われた東京ドーム公演でTERUは「僕たちはこれからもずっとずっと、約束を守るバンドとして活動していきます。絶対に解散はしません! 僕たちはひとつひとつ約束を叶えながら、また、新しい約束を胸にずっと活動をしていきたいと思います」と宣言。これ以外にもGLAYはライブなどで何度かファンに約束をし、その度に守ってきた。それができたのはひとえに彼ら自身の飽くなき探究心と向上心、努力あればこそだと思うが、前にも書いた通りバンドだけの頑張りでは実現しない。
「DEMOCRACY 25TH BOOK」の冒頭にも掲げられた“GLAYとは、民主主義である”宣言にもあるように、“GLAYは4人では完成しない。ファンとともにGLAYを築き、25年という歳月をともに越えてきた”ということを誰よりも実感し感謝しているのは彼ら自身。そして、これからもファンたちがGLAYを構成する一人として力を注いでくれることを信じているのだろうと思う。GLAYというバンドは25年の間に大きな影響力を身につけ、表現の幅も広げ、よりグローバルな視点を獲得してきた。が、実のところその核となる部分や志はデビューの頃から何一つ変わっていないようにも見える。むしろ年月とともに吹っ切れたぶんの強さは増しているかもしれない。四半世紀の活動の中で得た確信を手に、GLAYは26年目以降の未来も“同志”たちと一歩一歩進んでいくのだろうと思っている。
- ※1:DEMOCRACY 25TH BOOK
- 2019年7月31日“GLAY DAY”に発売した25周年記念ムック本。“7つの公約”ついて、メンバーへのインタビューを中心に構成されている。
- ※2:令和初15thオリジナルアルバム
- 今秋リリース予定の15枚目のオリジナルアルバム。TAKUROが詞の世界観・イメージを大事にした“言葉のアルバム”となっている。
- ※3:「REVIEW」
- 1997年10月1日にリリースされたベストアルバム「REVIEW-BEST OF GLAY」。415万枚の売上を達成し、当時の日本記録を樹立。1999年にはギネスブックに「日本で最も売れたアルバム」として掲載された。
- ※4:X JAPANのYOSHIKI
- X JAPANはYOSHIKI(Drum・Piano)、Toshl(Vocal)、PATA(Guitar)、HIDE(Guitar・故)、TAIJI(Bass・故)で結成したヴィジュアル系ロックバンド。後にHEATH(Bass)、SUGIZO(Guitar・Violin)が加入した。1989年にXとしてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストステージで活動を終了。2007年10月22日に再結成。YOSHIKIはX JAPANの活動のほかに、ソロ活動、プロデュース活動など多岐に渡って活動している。
- ※5:エクスタシー・レコード
- X JAPANのYOSHIKIによって1986年に設立されたレコード会社およびインディーズレーベル。
- ※6:「灰とダイヤモンド」
- 1994年5月25日発売のインディーズアルバム。20年後の2014年5月25日にCD&DVD3枚組の「灰とダイヤモンドAnthology」がリリースされた。
- ※7:PLATINUM RECORDS X JAPANのYOSHIKIによって1992年に設立されたレコードレーベル。エクスタシー・レコードからメジャーデビューしたアーティストが所属し、GLAYは第一弾アーティストであった。
- ※8:「SPEED POP」
- 1995年3月1日発売の1st ALBUM。GLAYが北海道を拠点に活動していた頃の曲まで収録されているメジャーデビューアルバム。
- ※9:「BEAT out!」
- 1996年2月7日にリリースされたGLAYの2ndアルバム。初のオリコン週間CDアルバムランキング1位を獲得し、ブレイクのきっかけとなった作品。
- ※10:「BELOVED」
- 1996年8月リリース、GLAY9枚目のシングル。TAKUROが作詞・作曲したGLAYを代表するラブソング。
- ※11:「Winter, again」
- 1999年2月3日に発売された16thシングル。オリコン・チャ-ト初登場1位獲得し、JR東日本「SKI SKI」キャンペーンソングにも起用されたGLAYの代表曲。
- ※12:「BURST」
- 1994年5月25日発売のインディーズアルバム「灰とダイヤモンド 」収録曲。2009年10月21日発売のベストアルバム「THE GREAT VACATION VOL.2 ~SUPER BEST OF GLAY~」には再録バージョンが収録された。
- ※13:「pure soul」
- 1998年7月29日にリリースされたメジャー4作目のアルバム。売上枚数は242万枚を超え、GLAYのオリジナル・アルバムの中では売上枚数が最も多い。
- ※14:GLAY EXPO '99 SURVIVAL
- 1999年7月31日、幕張メッセ駐車場特設ステージで、日本音楽史上に残る20万人というオーディエンスを集めた伝説のライヴ・イベント。その観客層動員数から“20万人ライヴ”と言う別称が付いている。
- ※15:「HEAVY GAUGE」
- 1999年10月20日に発売された5thアルバム。20年の時を経て、2019年5月8日には「HEAVY GAUGE Anthology」が発売される。
- ※16:「I'm in Love」
- GLAY、メジャー4作目のアルバム「pure soul」収録曲。1998年7月リリース。オセロ、長島三奈、鈴木紗理奈、山本シュウ、中山加奈子、富田京子、せがわきりなどがコーラスで参加。ライブでもラストナンバーとして演奏されることが多い。
- ※17:GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION”
- 東京スタジアム(現・味の素スタジアム)、北海道・石狩市青葉公園特設ステージ、北九州マリナクロス新門司ステージで開催された。九州公演には紫雨林(韓国)、DOME(タイ)、ニコラス・ツェー(香港)、メイデイ(台湾)、The d.e.p (ビビアン・スー、佐久間正英、土屋昌巳、ミック・カーン、屋敷豪太による日台英混合バンド)が出演した。
- ※18:HOTEL GLAY
- 2009年日産スタジアムと2012年に大阪・長居スタジアムで行われたHOTEL GLAYはおもてなしをテーマに行われた。2019年のアリーナツアーではどういったコンセプトで行われるか注目だ。
- ※19:GLAY EXPO 2014 TOHOKU 20th Anniversary
- 東北史上最多となる55000人を動員し10年振りに開催されたGLAY EXPO 2014 TOHOKU。
- ※20:「BLEEZE」
- 2014年7月9日発売GLAY 20th Anniversary 50thシングル「BLEEZE」表題曲。
- ※21:「G4・II -THE RED MOON-」
- 2011年10月5日に発売された43枚目のシングル。GLAY Official Store G-DIRECT限定でリリースされた。
- ※22:「SUMMERDELICS」
- GLAYにとって14枚目のオリジナルアルバム。2017年7月12日リリース。7月24日付けオリコン週間CDアルバムランキングで1位を獲得した。