『SPEED POP Anthology』発売直前! TAKUROが語る“Anthologyシリーズ”の意義と、メジャーデビューアルバム『SPEED POP』への想い。そして、今まで語られることがなかったデビュー秘話も。
2015.10.27
INTERVIEW「『SPEED POP Anthology』とはどういう作品であるか?」に関しては、webサイトでの紹介文と、何と言っても同梱のDVDに収録されているTAKUROさんの解説が素晴らしく、正直言って、こうして取材するよりも、そちらをご覧いただくのが最良ではないかと思います(笑)。
- TAKURO
- だったら、ここで昔話のひとつでもして、それで(『SPEED POP Anthology』の)コンプリートということにしますか(笑)?
(笑)いや、それは忍びないので、まず、改めて、このアンソロジー・シリーズの意味合いをうかがってみたいと思います。
- TAKURO
- これは今の時代、高額商品と言えますよね? 丁寧に作るものはそれだけお金もかかるし、どうしても金額は上がってしまうけれども、自分たちのアルバムの楽曲ひとつひとつを今後も大切にしていきたいと思うとき、やっぱり今の時代の音楽の聴かれ方に対する反発心、反抗心、ないしは──これはまったく別の言い方になってしまうけれども、「音楽を聴くということの未来を占うような仕事をしたいなあ」と思うところがあって。もちろん、例えばGLAYとはまったく別のセッションで「今度こういう曲をやるから」って言われたら、俺はそれをYouTubeで聴いて譜面に起こしたり、iTunesその1曲だけを買ったりもする──そういうことはミュージシャンである俺でも日常的なわけです。『ダイヤのA -SECOND SEASON -(※1)』の(主題歌である)『空が青空であるために(※2)』も、パッケージの発売は全然先だけど、いち早く配信するように、俺たちはそうした今の音楽の在り方に対しても実に寛容に受け入れている。でも、その反面、自分たちがやってきたことのひとつひとつに対して──これはジョン・レノン的な言い方になってしまうけれども、それらにチャンスを与えたいとも思うんですよ。20年もやっていれば、例えば、初めて聴いたGLAYのシングルは『I LOVE YOUをさがしてる(※3)』で「Mステで見て感激しました」という人もいるだろうし、そういう人たちに対しても昔のアルバムを聴いてほしいし、今レコード売り場でどうなっているのかも、中古屋さんで取り扱っているかどうかもわからない俺たちのかつてのアルバムに20年の時を経てもう一回チャンスを与えたいということです。
再びスポットライトを当てたいということですね、よりしっかりと?
- TAKURO
- アルバム『GLAY(※4)』で「これはGLAYサウンドとしてなかなかいい位置まで行った傑作なんじゃないか!」と思ったとき、「その楽曲ひとつひとつのメンバーとのやり取りをファンの人たちと共有してみたらおもしろいんじゃないかな?」って『GLAY Anthology』を作った──簡単に言えば、「知らない人の結婚式に迷い込んだとしても、そこでの子供の頃からのスライドを見たり、父親への手紙を聞けば涙が出るだろう?」ということなんですけど(笑)、そういったふたつの聴き方をすることで初めてフェアな気もするんですよ。それは自分のなかでの戒めみたいなものでもあるんですけど、「この新曲、よくないよね?」って聴き飛ばされてしまうような音楽が世の中にはたくさんあって、ファンですらそういうところに陥ることも少なくないなかで、どのミュージシャンもそうだろうけど、気合を入れて作ったものに関しては「改めて今聴いてみてどうですか?」と評価を問いたいし、「この子にはこういう違う面もあった」とか「生まれたときはこんな感じだった」ということも知らせたいんですよね。そこには先生みたいな佐久間さん(※5)や、マイケル(※6)のような職人たちもいたけれども、バンドとして狭いスタジオに集まった赤の他人たちは、決して最初から仕事をきっちりとして5時になったら「さよなら」というプロ中のプロではなかったわけですし。「作り手の想いなんて関係ない。その作品が良ければそれが全てなんだ」という考え方と、「このアルバムに関しては、こういうエピソードがあって、こういった物語のなかから生み出されたんだ」という考え方があるとすると、このプロジェクトは「音楽により物語性を与えたい」というのが今の偽らざる気持ちですね。
20年前の音源をよりふくよかなものにしたいということですね。実際、リミックス&リマスタリングされたDISC1ですが、これ、やっぱり20年前のオリジナル音源と聴き応えが違いますよね?
- TAKURO
- 違うよね。まあ、当たり前だけど、20年前には20年前の解釈があって、今は今の解釈があるわけでね。今回は「こういう聴き方もあるよ?」というか、「こういう隠れた音もあったよ?」という感じで、俺自身も発見が多かったですよ。
個人的には「明らかにここが違うよね」という派手な差異ではなく、20年前の音源に比べて奥行きを増したような、不思議な印象があります。
- TAKURO
- それはマイケルと佐久間さんとのチームプレイが素晴らしかったことは言うまでもないんですけれども、佐久間さんが亡くなられて、意見も訊けず、お話しできなくなってしまった今、随所々々で「佐久間さんは何と俺らの未来に繋がるような確かな仕事をしてくれていたんだろう」と思ったよね。もちろんサポートしていただいたドラマーの方は一流どころばかりだったし、ドラムは何も問題がないんだけど、あの当時は俺たちバンドだけだったら間が持たなかったもんね。俺たちがどうしていいかわからずにフレーズが止まる瞬間に、スッと次に展開を予感させるような音がチョコチョコと入っていて──それが、(『SPEED POP』自体)あんなに聴いていたはずなんだけど、今回解体するまで気付かない場所もいっぱいあったよ。
当時、佐久間正英さんにプロデュースされていた、とあるアーティストから「翌日、スタジオに行くと、ちゃんと佐久間さんが音源を仕上げてくれていてびっくりした」なんてエピソードをうかがったことがあります。どこかマジシャンのようなプロデューサーだったそうですね。
- TAKURO
- そうそう。当時の俺たちはそれに気付いていなくて、「自分たちが今日できることは目一杯やった。頑張ったね」で終わっていて、その後の佐久間さんの苦労を労っていなかったのかもしれない。
アーティストの死後に発見されたとか言って発売されるような音源が洋楽でたまにありますし、それこそ海賊版であったり、正式な手続きを経ないでリリースされる音源って昔からあるじゃないですか? アンソロジー・シリーズにはそういったものに対するアンチテーゼでもあるのかなとも思ったりしたんですが、その辺はいかがでしょうか?
- TAKURO
- 正解です。俺、メンバーの意思が反映されないアンソロジーとか、生きている人たちに対するトリビュートがあんまり好きじゃなくて、hideさんのトリビュートも相当拒んだんだよね。
あ、実はそうでしたか。
- TAKURO
- まあ、トリビュートも、ひとつの音楽として、例えば、“ビートルズのボサノヴァ・バージョン”みたいなものは、それはそれでいいと思うんですよ。カフェで流れてる牧歌的なものは…ね。でも、ロック・ミュージックを目指して「これからこれを育んでいくんだ!」って熱い魂のやり取りをするときの自分のアティチュードとはちょっと違うよね。まあ、ファンの人たちは俺たちがどういう人間か知っていると思うけど、俺たちは休みのときにメンバー全員でピクニックに行っちゃうくらいのバンドだけれども(笑)、こと他者に対するリスペクトや、自分の音楽に対する想い を考えたとき、あんまりオリジナルをいじって…という風にはならない。少なくとも俺は…ね。音楽に対する遊びを楽しもうというメンバーもいて、以前、洋楽の好きな曲を集めてコピーをしたこともある。カバーじゃなくてコピー。俺たちはアマチュア時代が長かったからコピーバンドの楽しさも十分知っているから。だけど、アンソロジーに「どの楽曲を入れるか? どの写真を入れるか?」というのはメンバーが健在のときに皆に訊いて、「この写真は恥ずかしいから止めてくれよ」という意見も含めて作っていきたいよね。
作り手の体温が感じられるものであってほしいということですね?
- TAKURO
- もし明日、俺たちが全員消え去ったとしたら、スタッフが「TAKUROはどんなアンソロジーが作りたかったんだろう?」と言っても、それに答える術がないからね。天国の俺たちが「それを使うのだけは勘弁してくれよ」という写真が使われていてもどうしようもない(笑)。だったら…ということだよね。あと、これは俺の個人的な想いだけれども、GLAYはもう曲がり角に来ただろうと。それは人生と同じ。40歳を過ぎて、そこからその3倍を生きる人間は稀なわけで…ね。そんな思いのなかで、自分たちが今までやってきたことをひとつひとつ検証することで、とにかくすごい発見があるから、それを今生きていること、明日の活動に続けたいということです。引退してから、おじいちゃんになってから昔を懐かしむんじゃなくて、走り続けながらその合間々々に今までやってきたことを掘り起こしてパッケージ化しておき、それを、それこそ60歳を過ぎてから「いいものを作ったな」と懐かしく思えるように…という。そこで「さてと…」と腰を上げるんじゃなくてね。
自らのなかでの温故知新みたいなものでもあるという?
- TAKURO
- 『灰とダイヤモンド Anthology(※7)』のときもそうだったけれども、(アンソロジー・シリーズは)本当に発見が多くて。当時の関係者にインタビューすることで自分たちが今どういう場所に居るかわかるし、俺はそれによって過去と未来をつないで縦軸と横軸を作っているようなところがあって。過去を振り返るのが嫌いだという人もいるし、10年先の未来を描かない人もいっぱいいるなかで、俺、GLAYとしてより良い活動をするために縦軸と横軸は常に意識していて、「今、登山の何合目なのか?」ということは強烈に意識しているんですよ。それは当時からね。その標のひとつとなるようなものは、移ろいやすい人間ではなく、過去に作ってしまって手の加えようがない作品群だったりするから、そういった作品に教えられることはいっぱいあるよ。
しかし、ホントGLAYはお蔵入りも出し惜しみもしませんね? 『THE GREAT VACATION(※8)』(2009年)の頃から、今あるものは全部出すくらいのスタンスです。
- TAKURO
- それは、ファンの人たちのことを信頼していて、感謝しているからじゃないかな? 2005年に自分たちの事務所を立ち上げたときから一番頼りにしていて、それこそ間接的にしろ、直接的にしろ、一番相談に乗ってもらったのはファンの人たちだと思うんです。そこで「この人たちは本当に信頼できる人たちだな」と思ったら、俺が普段感じているGLAYの楽しみみたいなものをシェアできたらいいのに…と思ったんだよね。ギター1本で歌っているときのTERUの声の素晴らしさや、自分1人できっちりとデモを上げるHISASHIのスキルの高さといったものは、その後にGLAYのメンバーが解体してしまうわけだから大抵ファンの人たちは聴くことができないわけだけど、20年経てば作り手の方にも、写真にせよ何にせよ、(それを発表するのに)恥ずかしさはなくなって、「GLAYの歴史的資料として出してもいいよ」というOKラインが下がったということもありますよね。
何よりもしっかり受け止めてくれる顧客がいてくれたことが大きいわけですね。
- TAKURO
- そう。だから、本チャンよりもいいデモがあれば「これを聴かせてあげたいな」と思うわけですよ。
今回『SPEED POP Anthology』のDISC2に『HAPPY SWING(※9)』『ずっと2人で…(※10)』『REGRET(※11)』のアコギと歌のみのデモ音源が収録されていますが、メロディーは恐ろしいほど変わってないし、さすがに声は若いものの、TERUさんの美声は変わっていないことを確認できます。これを聴けるというのは確かに幸せなことですよ。
- TAKURO
- 佐久間さんが当時、「TERUくんの魂の歌声を一番最初に聴けるのはプロデューサー冥利に尽きる」と仰っていたけれども、疑似的ではあるものの、そういったことを皆にも体験してもらえれば…ということですよね。
お蔵出しは『心に雨が(※17)』と『MOON GOLD(※18)』という未発表曲ですね。
- TAKURO
- (未発表曲は)アルバムが出る度にあるわけですよ。(何故未発表だったかと言うと)そのときの気分によるところも大きいんだろうけど、アンソロジーでは皆が知っている曲の幼少時代を見せるだけじゃなくて、「本来だったら輝かしいステージに立つはずだった曲たちがあってこそ、このアルバムがあるんだ」という風に拡大解釈をしたら、「あ、そうか。俺はもっとおもしろいものを作れるかもしれないな」と思うわけですよ。
なるほど。それは素敵な解釈ですね。
- TAKURO
- (アルバムから)漏れたからといって、それはその楽曲のクオリティの問題ではないんですよ。
実際、『心に雨が』と『MOON GOLD』とは何ら問題のない曲ですよね?
- TAKURO
- うん。何で入れなかったかというジャッジも今となっては記憶が曖昧なくらい。だからこそ今回(DISC2に)入れることができたところもあるね。
『MOON GOLD』に関して言えば、『ずっと2人で…』があったから、バラードが被るのを避けたのだろうなという想像は付きます。
- TAKURO
- (『MOON GOLD』は)多分あの世界観からすると、『灰とダイヤモンド』のときに収録することを考えたんだけどダメで、『SPEED POP』のときにも考えたけどダメで…ということだったんじゃないかな? で、その次の『BEAT out!』から俺たちは音楽性が変わって──これは同梱のDVDのなかでも言っていることだけど、マイケルから言われて胸に突き刺さった、「この(=『SPEED POP』の)後からお前らはコマーシャルになるよな?」という一言があって(苦笑)。「コマーシャルになったから今があるんだぞ、この野郎!」とも思うけど(笑)、マイケルは当時から「いつまでもビートルズばっかり追っかけてないで、いろんな音楽を取り入れた方がいい」ってずっと言っていたし、その意味がようやくわかるときが来たよね。
まあ、どの位置に入るかにもよるでしょうが、『心に雨が』や『MOON GOLD』が収録されていたら、アルバムの印象は間違いなく今とは違ったものになっていたでしょうし、未発表曲からは“あり得たかもしれない別の未来”を垣間見ることができますよね?
- TAKURO
- そういう想像をして楽しんでもらえれば…と思いますよね。
個人的には、『MOON GOLD』が、このデモに近いハードロックなままのバンドアンサンブルで収録されていたとしたら、バンドのイメージはもっと固いものになっていたかもしれない…なんて思ったところではあります。
- TAKURO
- そうですね、『SPEED POP』収録曲の多くは佐久間さんのアレンジからスタートしていたから、佐久間さんがどういうような解釈をしたかによっても変わったでしょうし。
私、今回久々に『SPEED POP』を拝聴して、発表された当時は巧く言葉にできなかったけれども、今になってようやくわかったGLAYの特徴があります。それは「ポジティブパンクとハードロックの香りのしないバンド」ということです。ポジティブパンクとハードロック──具体的に言うと、DEAD ENDと44MAGNUMですが、当時の所謂ビジュアル系と呼ばれるバンドは多かれ少なかれ、これらのバンドの香りがしたものでしたが、GLAYにはそれがなかった。それは当時のシーンでは結構稀なことだったと思います。
- TAKURO
- ああ……それはそうかもしれない。もちろんDEAD ENDはJIROが大ファンだったりするし、44MAGNUMはHISASHIが「カバーをしたい」と言ったくらいなので、(GLAYにもその両バンドの影響は)あったんだけれども、俺とTERUにその要素がなかったことが大きいと思う。『灰とダイヤモンド』以前にはいろいろとやってみたんだけど、ああいったもの──特にハードロック的な要素というのはボーカルの資質によるところが大きいんじゃないかな? TERUの場合、どう考えても“お日様” だもんね、その名の通り(笑)。お日様は天高く登るものであって、地下室にはないよね。
なるほど(笑)。影に居るものではないと?
- TAKURO
- そう。だから、そこでJIROやHISASHIも自分たちが(TERUに)協力できる何かを見つけたんじゃないかな?
今回DISC2に収録されている『MOON GOLD』からはハードロック要素が感じられます。つまり、GLAYにも当時のビジュアル系の要素はありつつも、それを表に出していなかった──そんなことをこの未発表曲から発見しましたね。
- TAKURO
- それはやっぱりプロデューサーの佐久間さんであったり、当時の事務所であったりが、GLAYとして見せたいもの、推したいものを考えた末のことだったんじゃないかな? 『SPEED POP』には『LOVE SLAVE(※16)』も『JUNK ART』もあるわけだから、(『MOON GOLD』を収録して)マニアックな面を推そうとすることもできたんだろうけど、当時はB’zやZARDといった所謂ビーイングのプロフェッショナル集団に対峙して、Xを筆頭としたライブハウス上がりで、純然たるプロデューサーを持たずに「独自でやるんだ!」というバンドたちがいるという状況があって、(関係者、スタッフは)そこに対するGLAYの打ち出し方を考えていたと思うのね。演奏力、作曲能力から何からビーイングや当時のプロ集団にはできないことが俺たちにはあっただろうし、もちろんその逆もあって──それこそファンと一緒に育てていくようなところもあったんだろうし、それらを考えてこの収録曲になったんじゃないかと思います。
当たり前のことですが、いろんな要素が重なり合って『SPEED POP』というアルバムが出来上がったということですね。
- TAKURO
- 俺、『彼女の“Modern…”』を「何てハードロック的でアンダーグラウンドな曲なんだろう?」って当時は本気で思っていたんだけど、誰も同意してくれなかった(苦笑)。「ポップだね?」って片付けられちゃっていて、「どうしてそう言われるんだろう?」と思っていたもの。俺が思うハードやマニアックに感じる水域って余程高かったのね(笑)。
はい(笑)。さて、先ほど「未発表曲は “あり得たかもしれない別の未来”」と言いましたが、DISC2に収められている数々のライブテイクは“『SPEED POP』発表後の正統な未来”と言えそうですね?
- TAKURO
- そういうことですよね。
これまた、ごく最近のテイクまで収録していて、本当に出し惜しみしていない感があります。
- TAKURO
- まあ、今はWOWOWで放送されたものが翌日にはネットにアップされてしまうようなこともあるけれども、やっぱり俺は作者の意図した通りに並んでいるものを聴くことにこだわりたいし、リスナーがチョイスするにしても相当場数を踏んでいないと本当に寄り添うことはできないと思う。さっきも言ったように「作り手の意思なんて関係ないんだ」というのが今の主流だとしたら、「作り手の意思に乗ってみるのもいいもんだよ」っていうことをGLAYとして示したいんだよね。
だから、『RAIN』は、今年5月31日・東京ドーム(※12)での“Miracle Music Hunt Forever Ver.”が収録されているわけですね?
- TAKURO
- そうです。デビュー曲は(YOSHIKIさんと)せーので録ったわけではなかったのでね。YOSHIKIさんのデモに対して俺たちがギターを入れ、ボーカルを入れ、そして最後に多分YOSHIKIさんが弾き直したんじゃないかな? 同時のセッションはかつてなかったわけです。それが20年の時を経てようやく実現したというか、満を持したというか──。
20年を経て奇しくも実現したものだったかもしれないですしね。あと、『ずっと2人で…』は“GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.2 Ver.(※13)”が収録されていますが、オリジナル歌詞版のライブテイクを収めるのであれば、やはり地元・函館で演奏されたものがベストだろうという判断でしょうか?
- TAKURO
- あれはね、ライブの前日にTERUと一緒にTERUの父ちゃん母ちゃんと飲んでいて、「ウチの娘の結婚式に曲を作ってくれたよね?」なんて話になって、「あのときのビデオはまだあるし、歌詞もまだ取ってある」というから、「それならそれでやってみる?」ってなって、TERUの実家に行って探したらそれがあったので、すぐにスタッフに伝えて、実際にやってみたという(笑)。だから、これをやることが決まったのは24時間前なんですよ。
GLAYのような規模のバンドで普通24時間前に曲変更なんてできませんよ(笑)。
- TAKURO
- でも、東京ドームの(2日目の)セットリストが決まったのはその日の朝だよ(笑)? JIROから「やっぱり替えたい」って連絡があって。
そうだったんですか!?
- TAKURO
- 本当は初日と同じで曲順が入れ替わるくらいだったんだよね。(JIROから連絡をもらって)「マジか……ギターの持ち替えは大丈夫?」から始まって、「持ち替えなくてもいいから」ってことになって……「ま、何とかなるでしょう」って(苦笑)。JIROがそこまでこだわるということは今乗りこえるべき何かがあるということだろうし、「じゃあ、やってみよう……東京ドームだけどね」って(笑)。失敗したら失敗したで、それはまたそれで…という。
すごいですねぇ。GLAYのすごさのひとつにライブを欠かしてないことが挙げられると思います。例えば、今年6月のLUNATIC FEST.。若手はともかくとして、あのフェスに出ていたバンドでGLAY以上にライブをやっている人たちはいなかったと思いますよ。
- TAKURO
- まあ、極端に少ないバンドが1組いたしね(笑)。
あの大先輩ですね(笑)?
- TAKURO
- そうそう、大先輩(笑)。……でも、それ(=GLAYが一番ライブが多いって)ホント?
だと思いますよ。GLAY以外だとBUCK-TICKさんはライブをやっている方だと思いますが。
- TAKURO
- でも、英さん(※14)、打ち上げで「今日が仕事収めだ」って言ってたな(笑)。「12月にいつものライブがあるかもしれないけど、今はわかんない」って。何て恐ろしい男だと思ったよ(笑)。
(笑)でも、今語ってもらった函館と東京ドームのセットリスト急遽変更の件は、ここまでずっとライブを欠かさずやってきたことで、確実にバンドの体力がアップした証明だと思います。
- TAKURO
- そうだね。一番変化を嫌うのがJIROなら、一番変化を望むのも彼で、他の3人は20年前から──何なら4人が集まったときから変わってなくて、「JIROに付いていけば何とかなるだろう」じゃないけど(笑)、俺たちは「生きるとは?」や「愛するとは?」ということを胸に、ときに自問自答しながら、ときにファンの人たちと考えながらやっているので、極端なことを言えばそこで演奏される曲は何でもいいんです。演出もね。そういう意味では、JIROは完璧なピースとしてはまって、4つの集合体になっていると思うよね。一番最後にGLAYに入った男だけれども、ここ10年は彼がいなかったらこんなにちゃんとしたペースで活動してないんじゃないですか?
ローリング・ストーンズは何十枚もアルバムを出してますが、ライブで演奏されたことがない曲はたくさんあるそうで、全曲ライブ演奏されたアルバムって1枚しかなかったと聞いたことがあります。JIROさんはそういうことは絶対に許さない人ですよね?
- TAKURO
- そう。函館のライブでも「今までやってきていないシングル曲に照準を合わせよう」ということになって、今年の1月から7月まで、行くスタジオは同じなのに毎回やる曲が違うということで、ちょっといっぱいいっぱいにもなりました(苦笑)。で、HISASHIが一度逃げてリハに来ない日があったという(笑)。まあ、でも、TERUに言わせると「こんな曲は聴いたこともない」というようなカップリング曲まで引っ張り出したことで、そこでもかなり体力が付いたところはあって。そういった曲たちと再会できるのも喜びだし、「あの頃はあなたにちゃんとした服を用意してあげられなかったけど、今ならミシンの使い方も覚えたし、時代の空気も取り入れて、ダサい服を脱がして、今の服を着せて上げられるよ」というね。そういうミュージシャンとしての喜びの方が勝つかな?
わかりました。では、最後にひとつ、『SPEED POP』というアルバムタイトルについて訊いておきたいと思うんです。今となっては若さみなぎる印象もあって、内容にジャストフィットしていると思うんですが、当時インタビューさせてもらったとき、どんなタイトルにするか大分悩まれていた様子でして、その結果、「『唇にナイフ』にしようと思っている」と聞いたと記憶しています。それをそのままに原稿を作成したのですが、校正段階でその箇所はカットされまして、その後、送られてきたリリース資料で「あ、『SPEED POP』になったんだ」と知ったんです。
- TAKURO
- ああ……なるほど。それは言ったような気がする。 ……“SPEED POP”という言葉はね、92年くらいに神楽坂のエクスプロージョンワークスから販売した4曲入りデモテープと同名なんですよ。『RAIN』の原曲である『JULIA(reason for so long)』の切れ端みたいなものも入っていて、そのデモテープが谷口さん(※15)の手に渡り、谷口さんからYOSHIKIさんの手に渡ったんです。あと、これは是非書いてほしいんだけど、「YOSHIKIさんがGLAYのデモテープを聴いて、一緒にプラチナムレコードを立ち上げた」というのが定説になっているけれど、それがこの間、覆されたんです。『灰とダイヤモンド Anthology』のDVDで元気にインタビューに答えてくださっていた谷口さんは今年お亡くなりになったんですが、お葬式に行った知り合いが音楽仲間から「実はGLAYのデビューにはもうひとり貢献者がいた」という話を聞いてきて……それがhideさんだったんです。
ほお、hideさんが?
- TAKURO
- (谷口氏が)YOSHIKIさんにデモテープを送ったんだけれどもなかなか返事がないと。まあ、忙しい人ですからね。で、(谷口氏が)hideさんにデモテープを渡して「これを聴いてみてほしい」と言ったら、「このバンド、いいじゃん!」ってことになって、hideさんがYOSHIKIさんに「早く聴きなよ!」って推してくれたんだって。それでようやく聴くことになって、(YOSHIKIさんから谷口氏に)「聴いたよ!」って連絡が入ったと。谷口さんの立場からしてみれば「実はYOSHIKIさんは聴いてくれなかった」なんてことは言えないから、この話は音楽仲間にしか話してなかったらしいんだけど、俺たちのデビューには本当にたくさんの人たちが係わっていて、hideさんがプッシュしてくれていなかったら、YOSHIKIさんに聴いてもらえてなかったかもしれないんです。まあ、今となってはその真偽を確かめる術はないんだけれども、そういう話を聞きましたよ。
それは秘話ですね。で、そのデモテープのタイトルが『SPEED POP』と?
- TAKURO
- そう。4曲入りで、『LOVE SLAVE』も入っていたと思う。(アルバムタイトルは)多分、悩んで悩んで悩み切って、「あのときのデモテープがこうなったわけでしょ?」という俺の気持ちがあったんじゃないかな? 94年の暮れだったと思う。
なるほど。当時のインタビューでは盛んに「このアルバムは大分マニアックになったと思う」と仰ってましたし、ポピュラリティーとマニアックさが入り混じったものとして『SPEED POP』と名付けたんでしょうね? 今もそんな風に理解しております。
- TAKURO
- あ、それは意識したんじゃないかな? 『灰とダイヤモンド』って「ダメなものなのか? 輝けるものなのか?」という二項対立だけど、“SPEED”と“POP”って対立しているようだけど、上手く同居しそうで、相性が良さそうでもあり、それでいて決して同じことを二度言っているわけではないとうね。あと、やっぱり(『SPEED POP』は)『灰とダイヤモンド』のような内容ではないんだよね。輝き具合とか加速感とかが違うし、世の中に対して訴えかけるポップ感を目指したところがあって。その辺では佐久間さんはかなり苦労してアレンジしたんじゃないかな? ……でもね、アルバムのタイトルは今も悩むし、そこはホント変わってないし、好きじゃない(苦笑)。アルバムタイトルもそうだし、ツアータイトルも曲のタイトルも。
まあ、我が子に名前を付けるようなものでしょうからね。
- TAKURO
- そうだよね? さすがにそれ(『唇にナイフ』と名付けようとしたこと)は忘れていたけど。
ラッツ&スターに同名のシングル曲があるんです。それでボツになったのかなとか思っていましたが?
- TAKURO
- どうだったのかなあ? でも、『唇にナイフ』という言葉はラッツ&スターから連想したと思うよ。俺、大瀧詠一フリークだからさ。ほら、大瀧さんってラッツ&スターも手掛けてたじゃない? そんな関係もあって、『唇にナイフ』というタイトルを持ってこようと考えたんじゃないかな。……いやあ、今日はいっぱいいろんなことを思い出させてもらったインタビューでした(笑)。
- ※1:ダイヤのA -SECOND SEASON -
- 寺嶋裕二による日本の漫画作品。2015年10月5日より月曜18時~テレビ東京系列にて放送。
- ※2:空が青空であるために
- 『ダイヤのA -SECOND SEASON -』のためにTERUが書き下ろした楽曲。
- ※3:I LOVE YOUをさがしてる
- 2008年9月10日発売39thシングル『紅と黒のMATADORA/I LOVE YOUをさがしてる』に収録。
- ※4:アルバム『GLAY』
- 2011年7月11日発売の10thアルバム。
- ※5:佐久間さん
- 佐久間正英、プロデューサー。
- ※6:マイケル
- マイケル・ツィマリング、レコーディング・エンジニア。
- ※7:灰とダイヤモンド Anthology
- 1994年5月25日にインディーズ1枚目のアルバムとして発売された『灰とダイヤモンド』が、GLAYデビュー20周年を記念してAnthologyとしてリリース。
- ※8:THE GREAT VACATION
- 2009年6月10日に発売されたGLAYのベストアルバム。
- ※9:HAPPY SWING
- 1995年3月1日に発売された1stアルバム『SPEED POP』の収録曲。
- ※10:ずっと2人で…
- 1995年5月17日発売の5thシングル。
- ※11:REGRET
- 1995年1月25日に発売された4thシングル『Freeze My Love』収録曲
- ※12:今年5月31日・東京ドーム
- 2015年5月30、31日に行われた『20th Anniversary Final GLAY in TOKYO DOME 2015 Miracle Music Hunt Forever』公演。 2005年3月13日「GLAY 10th Anniversary Year Final GLAY DOME TOUR 2005 "WHITE ROAD」最終公演で、TERUは自らが来ていたジャケットをマイクスタンドにかけ「10年後にこのステージにこのジャケットを絶対取りに来る」と宣言しステージを降りた。このドームライブは20周年イヤーのファイナルであるとともに10年前の約束を果たすライブでもあった。
- ※13:GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.2
- 2015年7月28、29日に行われた函館アリーナのこけら落とし公演。
- ※14:英さん
- 星野英彦、BUCK-TICKのギタリスト。
- ※15:谷口さん
- 谷口慎二氏、エクスタシーレコード新人発掘担当。
- ※16:LOVE SLAVE
- 1993年7月31日にライブハウス「神楽坂EXPLOSION」で配布されたGLAYのデモテープ。
- ※17:心に雨が
- 2015年10月28日発売の『SPEED POP Anthology』のDISC2に収録された未発表曲。
- ※18:MOON GOLD
- 2015年10月28日発売の『SPEED POP Anthology』のDISC2に収録された未発表曲。
インタビュー:帆苅智之