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INTERVIEW

Vol.113 TAKURO インタビュー

10月にリリースされるGLAYのニューアルバム『Back To The Pops』の全貌を、メンバーへの個別取材で探っていくオフィシャルWEBインタビューをお届けする。1曲につきメンバー2人が詳細を語るスタイルで、全14曲を深掘りしていく。もっとも多くの作詞作曲を手掛けているリーダーTAKUROには、アルバムタイトルに込めた想いを始め、今作の成り立ちをたっぷりと語ってもらった。

2024.8.23

アルバムが完成した今現在の、率直なお気持ちを聞かせてください。
TAKURO

アルバムが完成した時期と、ベルーナドームでのキックオフライブの終わった時期が近くて、やり遂げた達成感で今も夢見心地というか、満足感に包まれてぼんやりしています。制作期間が長かったし、ベルーナドームも自分の記憶や想いを掘り起こすある種のトリガーにもなったし。

25年前のリバイバルでしたものね。
TAKURO

『Back To The Pops』というアルバムは、“30年目のデビューアルバム”みたいな作品で。どのアーティストもデビュー作では、それまでにライブでやってきた曲だったり、自信のある曲だったり、当然いろいろな考えを巡らせてアルバムにするんだけれども、そこにはまだ純粋な部分が多くて。自分と社会との繋がりはまだ希薄だと思うし、例えば尾崎(豊)のデビューアルバム『十七歳の地図』1枚を取っても、社会と言っても学校だとか自分の半径何mかのことで、海の向こうのことではないですよね。そこにあるのは、若いながらの自分なりの社会の見方であって。今回は、実はそういうアルバムをつくることを目指していました。

純粋な個人の視点に立ち返った、と?
TAKURO

大人になると、俺はミュージシャンである前に一人の人間で、例えば父親であり夫であり、そういった側面を重要視するけれど、もしくはする“から”こそ、その時々の時代性みたいなものがGLAYの作品にも如実に表れるようになって。「俺は職業作家だから大衆が求めるものを」ということではなくて、その時代時代を映そうとするから、良くも悪くも時代に即してしまうというか、流されてしまう。だけど、どのアーティストも、デビューアルバムってそんなの関係ないんですよね。その時に自分がいいと思ったもの、興味があるもの、「これがカッコいい」と思ったものを詰め込むはず。この10年、作品には“大人の嗜み”が多少なりとも影響していたんだけれど、今回はその影響を一切無きものとして、ちゃんと正しく30年目のGLAYのデビューアルバムがいいなぁと。

今回そのような考えに至ったのは、何故だとご自身では思われますか?
TAKURO

1番は、普段接していてメンバーがそれを望んでいるからのような気もするし、ここへ来て、自分もそろそろまた純度の高いものをやってみたい、というのもあったし。やっぱり「Only One, Only You」は大きかったですよね。一人の“地球に生きる者”としての嗜みを音楽家として発表するのは、そこそこエネルギーが要ることだったから。未だに世界では争いが続いているわけだけれども、そんな戦いの日々の中で「音楽的安息が欲しいな」と思ったのは確かかな。

3rdソロアルバム『The Sound Of Life』でも、TAKUROさんは音楽に安息を求めて制作に向かわれていましたよね。その精神状態と地続きですか?
TAKURO

いや、バンドの安息ってもっとシンプルで。高校生がバンドで演奏する曲を選ぶ時に、何も考えずに「このリフがカッコいいからコピーしようぜ」とか、「簡単だから、このバンドはこの曲からスタートしよう」とか、そういうことなんじゃないかな? どのアーティストも、たぶん1番コピーされるのは1、2枚目あたりのアルバムじゃない? 皆その後、コピーされる単純さから逃れようとして難しく考えるようになっていくし、それが成長でもあるんだけれども。そういうのは一通りやって「Only One,Only You」に辿り着いたので。テクノロジーという意味でも、遠隔でレコーディングできるようになったり、30年前にはあり得ないような低音も出る時代になって、それを聴き分ける聴衆の成長もあったり、でも、そういうもの全てから逃れたかった。だから、そんな曲(のデモ)ばかりをとにかくメンバーに投げて、反応を見ながらつくっていったかな。

“地獄の1000本ノック”(※オフィシャルWEBインタビュー Vol.109参照)がそれにあたるのですね。『Back To The Pops』というタイトルも、そういった想いの中から自然に出てきたのですか?
TAKURO

そうですね。自分の中で今新鮮だと思うもの……ポップスという定義は、10代20代の時に親しみやすかったもの、例えば坂本龍一さんも俺の中ではポップスの範疇だし、ニルヴァーナもOASISも、ユーミンもサザンもポップスだし。ロックという言葉は、もう崩壊したロック議論に巻き込まれそうで面倒だから、たしかに避けましたが(笑)。胸張って「シェア」がロックだとは言えないですしね。だから、大きな定義、意味での俺のフェイバリットソングスは全てポップスだったので、こういうタイトルになりました。

なるほど。とても自由なマインドになられている、という印象を受けます。
TAKURO

ライブ一つを取ってみても、自分たちをリードしてくれるような曲たちが既にたくさんある中で、“そいつら”に対抗しなければいけないので。そういう意味では個が強いものを集めたようなアルバムではあります。箸休め的な曲を置くこともなく、アルバムコンセプトだとか、“頭の良い”ことは今回無しで。それがくじ引きでの曲順決めにも繋がっていくわけです。

それにしても、くじ引きで曲順を決めるのは大胆な試みで、驚きました。
TAKURO

大胆だけれども、ある種人智を超えたものが欲しかったんです。3ヶ月間、何度も並べ替えて何十通りも曲順をシミュレーションした結果、「全部いい」と思ったし。誰かの意思がその作品に終わりを与えるわけで、例えば今の時代、ハリウッド映画ならば監督の意思ではなく、優秀な編集者がチームの最後の仕事として「ここは要らないです」とか言って、その映画に終わりを与えるんじゃないかな? このアルバムは、「終わり与えるのは俺じゃないな、きっと」と思うような曲たちが揃っていた。「この曲順、曲間じゃなきゃいけないんだ!」と散々俺たちもこだわってやってきたけれど、振り返ると世の中サブスク時代だって言うじゃないですか? 大いなる時の流れと自然の力に特に抗う気もないし、だったらそれを毎回楽しもう、というのがGLAYだから。くじ引きで決めたのは今っぽいし、何よりもGLAYが楽しそうでした(笑)。実際にすごく盛り上がったしね。あの盛り上がりを得るために曲順を捨てたって俺は構わないと思うし、あの曲順の正しさは、これからの時間がつくっていくし、証明してくれると思う。

続いて、各曲について詳しく伺います。TAKUROさんには10曲お訊きしたくて、まずはM1「Romance Rose」についてです。「彼女の“Modern…”」の頃から原曲はあったそうですね。
TAKURO

ありましたね。19、20歳ぐらいの頃、警備員のアルバイトしている時につくりました。当時俺とHISASHIはZI:KILLの『CLOSE DANCE』が好きで、HISASHIの家で2人で聴きながら「カッコいいな。こういう曲をつくりたいな」と思っていたんです。でも当然つくれるはずもなく、試行錯誤しているうちにこの曲の原型ができたんですが、当時はもっとスカっぽくて。♪ンチャツチャツチャツチャッという、ポジティヴパンクの影響を受けたリズムでした。でも、その裏打ちに耐えられる体力をデモ段階では持っていなくて、当然お蔵入りになり。「いつこの曲を世に出すべきか?」と常に考えてはいたけれど、「今回がいい機会かな」と思った瞬間から、曲を鍛えたよね。アレンジも詞も変えて、ZI:KILLの『CLOSE DANCE』から『安全地帯Ⅱ』(安全地帯の2ndアルバム)に方向転換しました。

かなり飛距離がある気がしますが……。
TAKURO

そうですね。そこに更に(ピエール)中野くんのドラムと“レベッカ味”を振り掛けていきました。

そういったアレンジの方向性について、メンバーの皆さんには言葉でオーダーされるのですか? それとも音から感じ取ってもらうのでしょうか?
TAKURO

デモはクリック無しで自分の手でリズムを打ち込んだんですが、上手くできなくて。そのデータをHISASHIに送ったら、「お前がやりたいことはこうだろう」という答えが100点で返ってきて。「そうそう、これこれ!」という感じでしたね。

HISASHIさんはTAKUROさんにとって、信頼できる音の翻訳者なのですね。
TAKURO

『安全自体Ⅱ』でZI:KILLの『CLOSE DANCE』で、と伝えただけで「OK、分かった」という感じでピョン!とすぐに返ってきたから、早かったですよ。あとは「JIRO、いい感じにして」とJIROに投げて。俺のオーダーなんか毎回そんなもんです(笑)。JIROはそれを理解した上で、アップデートされた今日の彼の知識も能力も含めて「これこれ!」というベースを入れて戻してくれて。俺なんかギターの「チャーン!」しか弾いてないですよ。

あの「チャーン!」にはブライアン・フェリーのような、80年代の匂いを感じました。
TAKURO

そうですね、海外で言うとたしかにロキシー・ミュージックとか、ウルトラヴックスとか。そういう具体的な名前を挙げて説明するのがいちばん伝わりやすいかもしれない。

TERUさんの歌に対しては、どのようなディレクションをされたのですか?
TAKURO

サビの裏で流れるコーラスと、「Bメロのオクターブ上(のコーラス)はお願いします」ということぐらいかな。函館でレコーディングする時は俺も一緒にいて、軽いやり取りはしましたが、いつも特に何も言いませんし、150点です。

歌詞は書き直されたとのことですが、どのくらい原形を留めているのでしょうか?
TAKURO

5割ですね。当時はワンコーラスしかなかったので、2番を付け足して。「Romance Rose」というタイトルは当時からそのままです。デビューする時、当時の所属事務所から「今TAKUROが持っている曲を全部、アコギでTERUとやってくれ」と言われて、30曲ぐらい録ったんですよ。「ずっと2人で…」や「LOVE SLAVE」、「HAPPY SWING」や「REGRET」とかもあって、これはその中の1曲です。

<パントマイム>という言葉が出てきますが、「彼女の“Modern…”」と歌詞の世界線は繋がっていますか?
TAKURO

いや、この曲はほぼベースが『グレート・ギャツビー』ですね。作者のフィッツジェラルドとゼルダ(※小説家でありフィッツジェラルドの妻)の話と、『~ギャツビー』の話を混ぜ合わせて書いています。

この曲でアルバムが始まった瞬間、「予測不能な、面白いアルバムに違いない」と直感しました。
TAKURO

この曲が1曲目になるというのは、普通だったら考えないような曲順ですからね。俺はそういった“普通だったら出て来ない”のみが欲しかったので、くじ引きにして本当に良かったです。

次はM2「Buddy」について伺います。元々は飲食店の知人をモデルに書かれ、2023年5月26日の長野公演で初披露。以後、ファンの方との絆を象徴する曲に育っていきました。 
TAKURO

今にして思えば、『Back To The Pops』に至る、いちばん最初の訓練生みたいな曲だったと思う。イントロのあのギターの感じと、90年代の華々しかった音使い、あの高らかなベルの音だとか。あとは、GLAYが辿り着いたツインギターの個性がクッキリすること、「これでもか!」というぐらいキャッチーであること。政治的なメッセージだとか、抽象的な意味合いはなるべく排除すること。その後このアルバムに至る、最初の入口がこの曲だった気がしますね。「Only One,~」からガラッとモードが変わる瞬間がこの曲だったと思います。

このアルバムに至る序章として、意義深い曲だったのですね。 
TAKURO

曲調としては、90年代のJ-POP、J-ROCKを踏襲しつつも、「もしGLAYがあの時代のビーイング系の曲をつくるなら、こんな感じ」という一言に尽きるんじゃないかな? 初期のB'zもそうだし、T-BOLANも随分と聴いてきたし、ZARDも(大黒)摩季姉さんもそうだし。「キラキラしてて、いいな」と思っていたから。アルバイトで配達する時、カーラジオではよくビーイング系の曲たちを聴いていたんです。

ZI:KILLやデランジェとはまた違った、TAKUROさんの青春を思い起こさせるサウンドなのですね? 
TAKURO

今思い出したけど、気持ちの置きどころとしては、「Romance Rose」と「Buddy」の2曲がすごく近いんです。狭いアパートに帰ってラジカセの再生ボタンを押して流れるのはZI:KILLやデランジェなんだけど、アルバイトの時にラジオから流れてくるその向こうには、ビーイング系のミリオンヒットアーティストたちがいたわけで。その両方を浴びながら、素直に「いいな」と思いながら聴いていたんですよね。

それが1、2曲目という順に並んでいるのは数奇な巡り合わせです。
TAKURO

そうなんです。4曲目ぐらいまではミラクル過ぎて、「そういうことか!」と自分でも気付かされます。

続いてはM4「さよならはやさしく」、こちらも名バラードですね。
TAKURO

この曲もシンプルに好きだなぁ。ピアノでつくった曲なんですが、ここまでドラマティックにしてくれたのは全て、村ジュン(村山☆潤/サポートキーボーディスト)のアレンジのお陰です。

『北海道道』(NHK北海道)のテーマ曲になっていますが、いつ頃生まれた曲なのでしょうか?
TAKURO

去年ぐらいに出来た曲で、「Winter,again」などに通じるひんやりとしたバラードをつくりたくて。ずっと頭の中で鳴っていたのが、とあるシャンプーのCMで、その雰囲気をモチーフとしてイメージが広がった気がします。

どういうCMでしょうか?(※動画を検索し、該当CMがヒット)
TAKURO

そうそう、このCM! 音楽は坂本(龍一)さんじゃない? 坂本さんが亡くなったのは去年の3月でしたよね。『The Sound Of Life』をつくった時もそうだったけど、坂本さんへの追悼の想いは間違いなくあります。お世話になったしね。去年はずっと坂本さんの作品を聴いていて……関連するミュージシャンの方々、細野(晴臣)さんの『HOSOHO HOUSE』を聴き直したり、(髙橋)幸宏さんのアルバムも聴いたり。YMOは特にそうで、音楽だけでなく文献もいろいろと読んだし、その中の1つの事象がこの曲なのかもしれないな。

坂本さんの生み出されたCM音楽が、無意識のうちにインスピレーション源となっていた、と。坂本さんへの追悼の想いが心の奥に常に、ずっとあったのですね。
TAKURO

うん、ありましたね。

歌詞にはTAKUROさんの人生哲学が色濃く表れていると感じます。
TAKURO

全曲の中で、<振り返ればそこに後悔も未練もある>という一節が、自分をすごくよく表しているように感じられるんです。「生きてく強さ」や、「春を愛する人」の<生きてく事は 愛する事 愛される事>のような、自分の人生に刻まれる1節ではあるかな。そのぐらいの重さでもって心にズーンと来るし、聴くたびにそう思います。毎回何かしら宿る、そんな一節ですね。

出会いと別れについての、現在のTAKUROさんの考え方が率直に綴られている、という印象ですが、どうでしょうか?
TAKURO

そうですね。全曲を通して言えることですが、そんなに難しいことではなく、俺の中で遣い古した言葉たちに新たな役を与えたい、という想いはアルバム全体を通じてありました。慣れ親しんだ言葉たちに別の役を与える、という感じかな? 言葉たちに、今の時代にちゃんと合った役でいい仕事をしていただきたい、という。この曲はそれが顕著かな?とは思います。

誰にでも伝わる平易な言葉たちで編み上げた、情感豊かな表現に心を揺さぶられます。
TAKURO

でもそれはやっぱり、TERUさんの歌の力ですよ。

<風に立つ獅子たちよ>という表現からは、子の巣立ちをモチーフとされているようにも感じました。
TAKURO

自分が親元から離れたような年代に子どもたちがなっていき、当然、自分にも同じことが降り掛かるわけですからね。でも、この曲だけでなく、子どもができてから俺が綴る言葉は全部遺言のようなもので。俺がもしいなくなっても、何か助言が欲しかったらGLAYの曲を聴けばいいし、生きる上での知恵みたいなものはそれで十分に伝わるんじゃないかな?とは思いながら書いてはいます。何なら子どもを持つ前からそう思っていました(笑)。それは自分の子どもに限らず、GLAYの音楽に触れた人がもし人生に迷って、もしGLAYがもう解散してバラバラだったとしても、メンバーがもういないとしても、俺らのような……器用なのか不器用なのか分からないけれど、そういう生き方しかできない人たちのヒントにはなるんじゃないかな?と思いながら、先を生きる者としては、いつも意識はしています。

長く生きていただきたいのは大前提ですが、すべては音楽の中に入っている、と。
TAKURO

そうですね。俺自身、未だに過去のいろいろな人たちの曲から生きるヒントを得て、立ち上がったり前に進んだりしますからね。この曲は、ライブではまだやってないよね? 

函館のライブ本番中に、キー合わせをする場面がありました。
TAKURO

そうそう、その時の曲でもあります!

M6「海峡の街にて」は、2018年に「the light of my life」というタイトルで披露し、後にタイトルを変えてEPに収録されました。2018年と言いますと、TERUさんが函館にスタジオをつくられた時期と重なりますよね。
TAKURO

そうですね。要素としては、登場人物の親子関係や生い立ち云々よりも、函館で感じること、TERUのスタジオから見える港や、そこを出入りする船などの風景がモチーフになっていて。あと、辻仁成先生の『函館物語』と『海峡の光』(芥川賞受賞作)からは大きな影響を受けているかな。辻さんは函館を強力に美しく鮮やかに描くから。そういう意味では、“海峡”という言葉自体、辻さんの影響は大きいと思います。

TAKUROさんご自身の函館に対する想いは、TERUさんが函館にスタジオを構えたことによって、何か変化はあったのでしょうか? あったとしたら、それが曲に投影されている部分もありますか?
TAKURO

曲とは直接関係ないけれども、コロナ禍以降、俺は毎日のようにTERUと飯を食っていて、昨日も一緒だったし。ここ5年、10年のTERUとの関係は、もはやただの友だちですよね(笑)。もちろん仕事もするけれど、50代、60代の今を生きる人たちの生き方を、TERUから学んでいるし。TERUはすごく楽しむし、見ていると「こんな生き方をしてたら、たぶん、最後の最後まできっと楽しいだろうなぁ」なんて思える。その友だちの1人として自分がいられることで、歳を取ることが怖くなくなる、というか。当然、子どもたちには巣立って自立してほしいという気持ちの中で、「最後に、やっぱり友だちって大事だな」とも思うしね。今となっては、TERUを通して見る函館、その仲間たちと見る函館が、俺にとっての函館。函館はそういう街ですね。

では続いてM7、「BRIGHTEN UP」はどのように生まれた曲ですか?
TAKURO

この曲のサビは90年代には既にあって、Bメロも別の曲のBメロとして古くからあり、Aメロだけ2010年以降につくったはずです。このサビをすごく気に入っていて、だけどそれに見合うA、Bが出来なくて。「whodunit」の♪whodunit~の後にこのサビが来るヴァージョンもあったんですが、その“結婚”は上手く行かず、すぐに離婚(笑)。♪The Harder They Come~が来るまで、永らくフラフラしていました。

JIROさんの、歌うようなベースラインも印象的です。
TAKURO

「その恋は綺麗な形をしていない」もそうだし、今作のJIROのベースは本当に素晴らしいですよね。この曲はミックスの時に「JIROのベースをもっと前面に出して」とリクエストしたほどです。

イントロは透明感のあるシンセサウンドが美しいですね。
TAKURO

<30年間小さなものを探していたんだ>という意味の英語のコーラスが入っています。

そうだったんですね。歌詞カードには載っていませんが<30years>とは聴き取れて、GLAYというバンドが30年続いた意味、音楽で人を幸せにしてきた誇り、未来へ歩み続ける強い意志を表す曲だと感じていました。
TAKURO

そうですね。<For 30 years we’ve been looking for little things little things>と歌っていて、小さいものを探して続けて、今もそうで……という感じですね。この曲も、俺のヘッポコデモをHISASHIに送ったら、こんなにカッコ良くオシャレになってしまいましたが、元々は青春パンクみたいな曲だったんです。だから俺は、イントロでレベッカの「RASPBERRY DREAM」のカッティングみたいなフレーズを弾いたった(笑)。

ギターソロの前にも、エモーショナルなセッションというか、決めのパートが入っていますね。
TAKURO

HISASHIとTOSHIのロックショーでしょ? 去年のツアー(『GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023-The Ghost Hunter-』)で、HISASHIとTOSHIが「Young oh! oh!」の前にメタリカの「マスター・オブ・パペッツ」をジャカジャカッ!ジャッ!と弾いていたのを観て、「いいな。こういうのをやりたいモードなのかな?」と思って。

バンドキッズが純粋にセッションを楽しんでいるような瑞々しさを、30周年を迎えたバンドが出せるのは、すごいと思います。
TAKURO

俺としては、このバンドしかやったことないから分からないですけどね。

M9「Beautiful like you」もライブで進化を遂げた曲で、待望の音源化です。
TAKURO

この曲も、出来てからもう長いですね。サビは94、5年にはあって、♪ダーリンダーリンミー~みたいな歌詞が付いていたんですが、つくっておきながら「なんてカッコ悪いんだろう」と思っていました。歌詞もヘッポコだしメロディーも土臭い、田舎っぽいというか。

洗練されてはいなかったんですね?
TAKURO

「イモやん!」と思っていて(笑)。だけど、ことあるごとに思い出すんですよ。「いいメロディーなのかも」と思うまでに20年ぐらい掛かりました。実際、キャッチーなメロディーというのはバタ臭いから、こちらの成長を待たなきゃいけないんですよね。それがある時「♪Beautiful beautiful~にすれば悪くないじゃない?」となったんです。

10年ほど経て、その言葉が授けられて、曲に確変が起きたわけですね。
TAKURO

そうそう、「めっちゃいいかも?!」となりまして。そこからは早かったですね。

ライブでアレンジの可能性を探りながら、ツアーの中で育てていった曲だとお見受けしました。理想の完成形は、TAKUROさんの中でいつ頃見えたのですか?
TAKURO

(川村)ケンさんがものすごくいい仕事をしてくださって。ケンさんのアレンジとゴスペルのコーラスが入った時、こういうある種の教会音楽みたいなイメージが浮かんだんです。『HC episode 3 GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost Hunter- in Port Messe Nagoya』の聖母マリアのジャケットのように、母親が子どもを思う気持ち、という視点は自分にはなかったけれども、それを表現するには教会音楽みたいなプローチが合うかな?って。

たしかに、1対1のラブソングというよりは、もっと普遍的な視点を感じます。
TAKURO

究極のラブソングは、もう対象と向き合っていないですよね。対象は未来を見ていて、その後頭部を見ているものなんじゃないかな? そして、その歩き出す手助けをするのが究極だとしたら、向き合っているうちはまだまだで。今回のアルバムは向き合っている、身近でフレンドリーな曲が多いですけどね。だけど、この「Beautiful like you」に関しては、対象の旅立つ背中を見ているようなラブソング。「海峡の街にて」もそうだけど、「海峡~」のほうがもう少し距離が遠いかな? 人との距離に関しては、曲によってそれぞれあるなぁと思います。目の前で向き合っているのか、同じ未来を見ているのか、その人の後ろにいて背中、後頭部を見てるのか。そういうイメージは、どの曲にもそれぞれにあります。

M11「その恋は綺麗な形をしていない」は、函館というよりも、湘南の海感をイメージさせる晴れやかさを感じました。エレピで斎藤有太さんが参加されているのですね。
TAKURO

そこはプロデューサーの亀田さんの采配で決まりましたね。元々はケンさんとTOSHIと俺とでデモをつくって、それとほとんど同じ形で差し替えるようなレコーディングでした。この曲は比較的新しいとはいえ、TERUに仮歌を歌ってもらったデモが10年ぐらい前からあったので。「Young oh! oh!」みたいな弱い男の話を書きたいな、と思ってて歌詞はつくりました。

2024年版の曲にするにあたって、どういう作業があったのですか?
TAKURO

工藤さん(レコーディングエンジニア)にどっさり資料を送って、90年代の初期のL⇔Rみたいな定位にしてほしい、音づくりにしてほしい、と伝えました。それを通してアメリカンポップスやUK(ロック)のような、“音として楽しめるサウンドづくり”にめちゃめちゃこだわりました。曲自体は、90年代の渋谷La.mamaあたりで活躍していたバンドを彷彿とさせる、THE J-POPなフォーマットで。ABサビ、ABサビ、Bへ行ってソロがあって、仕掛けがあって二拍三連、みたいな90年代J-POPフォーマットを全部やろうと思って、できたのですごく楽しかったです。

ともすれば照れてしまうほどにポップで、突き抜けているからこそ痛快です。
TAKURO

自分たちの中で生き方が固まった以上、これが恥ずかしいという気持ちも当然ないんだけど、それにしても、だからこそ突き抜けたポップじゃないと楽しめないので、皆一切妥協せず。歌詞も含めて、俺の中で楽しく作業をしましたね。

「その恋は綺麗な形をしていない」というタイトルも、90年代のJ-POPチャートで見掛けそうな長さと語感です。
TAKURO

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』みたいなね(笑)。

岩井俊二監督のテレビドラマ、映画のタイトルですね。90時代を象徴しています。
TAKURO

たしかに、岩井俊二感もありますね。

90年代という時代に捧げるオマージュというか。でも、GLAY自身はやっていなかったことなんですよね。
TAKURO

こういう曲調は、90年代にはやってないですね。「BELOVED」だの「口唇」だの、ちょっと斜に構えてたじゃないですか? 当時の俺たちのヴィジュアルにこの曲も合わないだろうしね(笑)。

それを今やってみるのが楽しい、という?
TAKURO

うん。どんな感じになるのかも分からなかったんだけど、この手の曲は本当に楽しいんですよ。8ビートで仕掛けもいっぱいあって、エンディングの♪デデデデーン!みたいなベタを心から楽しめるようになると、ベタにも力が宿るというか。本気でやれば、それは伝統になるから。

このアルバムで最もポップなのどれか?と訊かれたら、この曲ではないでしょうか?
TAKURO

そうなりますよね。たぶん音像がそうさせるんだと思います。工藤さんがすごく頑張ってくれていたから。

ポップではあっても軽い曲になるのも良くなくて、難しいところですよね。
TAKURO

そうそう。ギター1本で歌ってみると魅力が分かりづらい曲は、実際どのアーティストにもたくさんあって。それをバックのメンバーやアレンジャー、エンジニアが何者かにしてくれる、という瞬間はやっぱりあるんですよね。だから俺はバンドとかチームで曲をつくるのが好きなんだけど。

Ⅿ12「なんて野蛮にECSTASY」は、ヘヴィメタルとクラシックが融合したユニークな曲でした。清塚信也さんのピアノが凄まじい存在感です。
TAKURO

清塚くんは天才だったなぁ……。

『テレビ朝日ドリームフェスティバル2022』での共演が記憶に新しいですよね。
TAKURO

あの2日前に知り合って、飲んで意気投合してドリフェスで一緒にセッションしてから仲良くなったんです。

音源に参加されるのは今回が初めてですよね?
TAKURO

そう、初めてです。今回のアルバムは30周年だから、とにかく楽しい仲間とやりたいな、と。JAY(ENHYPEN)も含めてだし、中野くんも(斎藤)有太さんもそうだし。わりと意識的に「ゲストを呼ぼう」という雰囲気ではありました。ハードロックフォーマットに情けない男の言葉を、とんでもない身近な言葉をぶっこんでくるのはB'zスタイルかな?と。このサウンドで宇宙とか歌っちゃダメなんだなって思いますね(笑)。

清塚さんのピアノのパートは、後で入れ込んだのですよね?
TAKURO

そう。たぶんメンバーもよく分かっていなくて、「なんでこんな感じになったんだろう?」と思っているんじゃないかな(笑)。清塚くんには何回か弾いてもらって、間奏の部分は素晴らしいテイクが3つぐらい残っているので、20年後のアンソロジーでは別ヴァージョンを聴けますよ。

突拍子もない展開で、先が読めずワクワクする曲でした。
TAKURO

GLAYの中にあの天才ピアニストが!という、その1点のみですよね。この曲がたまたま合いそうだったからこの曲のゲストに来てもらっただけで、俺はひたすら「GLAYのアルバムの中で清塚くんのピアノが鳴っていてほしい」とだけ思っていて。

例えば「Beautiful like you」で弾いてもらっても良さそうじゃないですか? でも違うんですよね。
TAKURO

そうなのよ。ポップスピアノじゃないんですよ。ああいうバラードを弾いてもらうと、たぶん彼の狂気な部分が出ない。

清塚さんのピアノには、ベートーヴェン的な感情の暴発が感じられますもんね。
TAKURO

クラシックの音楽家には狂気があって、だからこそ面白いんだよね。

クラシックピアニストである清塚さんと、ロックバンドGLAYが、狂気の部分で響き合っているのがこの曲だ、と。
TAKURO

更に、この曲は中野くんのドラムもぶっ飛んでるから、ぶっ飛んでる人が2人いる、という。俺らがまともに見えます(笑)。この曲にはファンクとかハードロックとかいろいろな要素がある中で、清塚くんのあの間奏があって中野くんのドラムがあったからこそ、アルバムに入ることができた、そんな曲だと思う。

TAKUROさんのパンク魂を感じる曲の構成だな、とも思いました。
TAKURO

そうですね。そういう意味では、音楽の自由さを改めて思い出したかな。「別にいいじゃん? 間にインプロビゼーションが40分入っていたって」みたいな。普通の3分のポップス・フォーマットなんて前後にいっぱいあるんだから、という。ライブではここをどうしよう?という面白みもありますよね。本人が来て演奏してくれるのももちろんいいし、また違う形でお客さんと遊ぶのもいいし。

M13はJIROさん作曲の「シャルロ」。「THE GHOST」(JIRO作曲)に続くR&B系の曲が上がってくるか?と思いきや、ストレートなロック路線の曲で意外でした。
TAKURO

何故なのか?はJIROに訊いてみてほしいんだけど、もしJIROがR&B系の「THE GHOST」みたいな曲をつくってきたら、たぶんこのアルバムにはなっていなかったと思う。R&B系に寄せるつもりで準備もしていたんだけどね。去年の“デモテープ1000本ノック”は、あくまでも何があっても大丈夫なように準備をしておくこととか、メンバー同士のキャッチアップみたいなもので、「次のアルバムはこうだよ」というメッセージのつもりは俺としては特になかったんですだけど。

JIROさんへのインタビューで伺ったニュアンスだと、「THE GHOST」の第二弾になる曲もつくったそうなんですが、「『THE GHOST』次の曲としてはまだまだ甘い」というご自身の判断があったようです」
TAKURO

なるほど。もし第二弾が出てきていたら、もっと硬質な、「whodunit」を広げたようなアルバムにしていたと思う。

JIROさんが元来得意なロックンロール・ナンバーの最新形で、気持ち良い曲ですよね。TAKUROさんのつくられるロック曲とは、また異なる魅力があります。
TAKURO

俺はセブンス(コード)をあまり使わないからね。JIROの曲にはセブンスがよく似合うから、楽器陣もそれを入れたりして。コード進行で言うとまずシンプルなスリーコードが基本。UK寄りというか、J-POPフォーマットではないからなぁ。

作詞はTAKUROさんですが、どのようなイメージを持って書かれたのでしょうか?
TAKURO

「シャルロ」というタイトルが浮かんだ時点で、「面白い物語書けそうだな」と。やんちゃな女の子がしゃべっているのを黙って聴いてる、みたいな曲にしたいなと思っていました。まるでラジオのチューニングをグイグイと変えてくように、シャルロが二人称の相手と、3秒ごとに話題が変わっていくような会話をしている、みたいな歌にならないかな?って。イントロのHISASHIのギターがZIGGYのようで、俺の心を掴みましたけどね。「I’M GETTING BLUE」(ZIGGY)でも始まるのかい?みたいなフレーズで。ちょうどその前にKENZI&THE TRIPSをHISASHIと観に行って、「やっぱりシンプルな3ピースギターバンドっていいよな」とも言い合っていたんです。

KENZI&THE TRIPSは「ダイアナ」、ZIGGYは「グロリア」、GLAYは「シャルロ」、全て名曲ですね。ではアルバム最後の曲、Ⅿ14「Back Home With Mrs.Snowman」についてお聞かせください。
TAKURO

これは、くじ引きで「1回だけ曲順を変えていいよ」というカードを引いた亀田さんが、メンバー皆の「分かるよね……?!」という視線を受けて(笑)、アルバム最後の曲になりました。最後のほうまでこの曲のくじが出なくて、「綺麗に決まるかも?」とも思ったんだけど、ラス前ぐらいに出たので。

チェンジできるカードを設けておいて、良かったですね。チャラン・ポ・ランタンの小春さんがアレンジ参加、その他にも斎藤有太さんのエレピ、HIDE(Gre4N BOYZ)さん、山里亮太(南海キャンディーズ)さんの声や花火の音が入っていて。函館でGLAYの皆さんが仲間たちとワイワイしている情景を想起する、温かな余韻でアルバムが締め括られます。 
TAKURO

15年ぐらい前には、ほぼほぼこの形のデモがあったかな? <除夜の鐘>という言葉が出てこないヴァージョンも存在しているぐらいで、何度かTERUに歌入れをしてもらったし、それも1回、2回じゃないんですよね。年末ソングはJ-POPになかなかないんじゃないか?と思って歌詞は書きました。

たしかに、クリスマスの曲はたくさんありますけれども。
TAKURO

『お正月』以来の、日本が世界に送る年末ソングなんじゃないかな? 「冬休みどうする?」という曲だもんね。しかも、雪がどうとか歌っていて、明らかに北海道な気もするし。自分のことだとは思わないけども、20代のカップルが年末年始の過ごし方を話し合っているような、そんな歌だよね。勝手に歌詞が出てきたから、なぜそうなったかは知らないけれど。また不思議な歌できたなぁと思って。

人生のどのような時期を過ごしている2人なのか、想像するのも楽しいですよね。
TAKURO

そうなんです。例えばこの曲だったら、男性も女性もたぶん仕事を持っているよね。付き合って何年なのか、もしかしたら結婚の約束をしているのかもしれない。でも最近お互いの仕事が忙しくてすれ違うことも多くて。だけど希望や夢は持っていて、みたいな。何ていうか、そういう物語づくりに近いかな? 今回はどの曲もそうでしたね。カラオケにするならちゃんとそれぞれの場面で演じる台本がある、というか。是非、カラオケ業者の皆様には、この詞の通りに映像をつくってほしいものですね。

物語がまずあって、そのサウンドトラック、劇伴としてのアルバムというような?
TAKURO

今回はその色が強いような気もしてきた。自分たちの要素が80%という曲もあれば20%な曲もあって、全くもって(フィクションの)物語という曲もある。昨日ベルーナドームの音源チェックや映像チェックをしていたんだけれども、「LADY CLOSE」に俺らの要素なんかないもんね。「TWO BELL SILENCE」もそう。どこかのMCでも言ったけど、人を刺したことなんてねぇし、1000本もナイフねぇし!みたいな(笑)。

(笑)。
TAKURO

当時は何か思うことがあって書いたんでしょう。だけど、今の曲たちのような物語性はそこには無いわけです。譬えて言うなら派手な服を着ているようなもので、「舌を半分に切ったろか?」「ピアス開けたろか?」みたいな歌ばかりだったじゃない? そういう意味では、『Back To The Pops』は当時とはまた違った、パラレルワールドのGLAYのデビューアルバムみたいなものですよね。俺たちが市川CLUB GIOではなくLa.mamaでやっていたら、こんな曲たちがたくさんあったかもしれない。

あり得たかもしれないもう一つの人生を想う、ある意味、映画『ラ・ラ・ランド』のような?
TAKURO

そうそうそう! 

GLAYは言うまでもなく大成功を収めたバンドですが、この曲の<みんなで慎ましく暮らしていけたなら>という歌詞や、「BRIGHTEN UP」の<小さなことを探し続けてきた30年間だった>というコーラスに説得力があるのは本当に尊いことで。仲間たちと小さな幸せを探し、守って大切にしていく、そんな姿勢に共感できるバンドなんですよね。もちろん大スターでいらっしゃるのですが。
TAKURO

いやいや。俺のソロで前に歌ったように、人の人生は“風の前の塵に同じ”みたいな想いは、どうしても付いて回るんです。いい飯を食う、いい車に乗る、なんていうことは一時の夢みたいなものなんじゃないかな?って。

儚い幻のような?
TAKURO

幻、もしくは勘違い。もしくは、ただの体験? やっぱり、自分の本質を見つめる作業からは逃れられないから。どんなにいい感じで振る舞っても、自分がどれぐらい浅ましくて厭らしいかを知っているし、人が思うような立派な人でないことも自分だけは分かっているし。この孤独は誰にも理解されないことも分かる。誰しもそうなんじゃないかな? この1週間以内に何回か、恥ずかしいことしてるでしょ? 「これを見られたら私終わるわ」みたいな。それを贅沢品とかで誤魔化しながら、「自分はそうじゃない」と言って逃れようとしているけれど。やっぱりZI:KILLだレベッカだ、と喜んでいる自分からは逃れられないんだよね、俺たちは。どんなに“Journey without a map”をやろうが『The Sound Of Life』をつくろうが、何をしようが逃れられない。実際、今回すごく楽しかったですからね。

正直に素直に「楽しい」と思うことをして、バンドで鳴らして封じ込めた作品が今作、ということですよね。デビュー30周年にそういうアルバムが世に出るのは素晴らしいことだと思います。
TAKURO

そうだと思う。また次も、「この中のここの部分をもっと広げてやりたいな」と思うし、例えば「シャルロ」みたいな曲ばっかりのアルバムとかもいいな、とか。KENZI&THE TRIPSを観て俺とHISASHIは、「もうバラードとか無しで、スリーコードでジャンジャカやるような気持ちいいアルバムとか、いいよね」と言っていて。

ツインギターの醍醐味も味わえそうですね。
TAKURO

そうそう。ノーシンセサイザーで曲を書くぞ!みたいなさ。

11月からはアリーナツアーが始まります。TAKUROさんとしては、このアルバムをどう表現し、届けていきたいですか?
TAKURO

まだ全くセットリストも何にも決まっていないし、演奏も決まっていないですからね。このアルバムのことはさておき、30周年の色は濃いツアーになるんじゃないかな? ベルーナドームでは、30周年ならではの企画でそれぞれの「あの日、あの時」を分け合ったのも、やっぱりすごく良かったから。その後に、このアルバムの解釈がもっと進んでから(別のツアーを)やっても構わないと思うし。その辺はメンバーともう少し擦り合わせをしなきゃいけないところです。だけど、30周年の熱量みたいなものはキープしたいかな。難しいものにはならないと思う。シンプルなツアーにしたいですね。

取材・文/大前多恵

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