GLAY

MENU

INTERVIEW

Vol.109 TAKURO インタビュー

デビュー30周年を記念して、5月29日にリリースする両A面シングル『whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-/シェア』。「whodunit」では、K-POP第4世代の輝く星、7人組グローバルグループENHYPENからJAYを迎え、想定外のビッグプロジェクトで世を賑わせている。世代も音楽性も一見懸け離れたグローバルスターとのコラボレーションは、どのように実現したのか? TERUへのインタビューではヴォーカリストとしての視点を中心に尋ね、TAKUROへ取材した本稿では、JAYへオファーする前から構想していた30周年記念シングルへの想い、この曲のGLAYにとっての意義など、幅広く語ってもらった。

2024.5.14

「whodunit」では、ENHYPEN・JAYとのコラボレーションが実現。どのような経緯で決まったのでしょうか?
TAKURO

30周年記念アルバムの制作にあたって、それに伴うキックスタート的な記念シングルは、「アッパーな曲がいいな」とは何年も前から思っていました。JAYにオファーしたのには、いくつか要因があって。例えば一連の“HIGHCOMMUNICATIONS TOUR”で披露した「HIGHCOMMUNICATIONS」とか、“The Ghost of GLAY”(2023年3~6月のホールツアー)の時の「THE FRUSTRATED」とか、今年アルバム『THE FRUSTRATED』の20周年を迎えてAnthologyプロジェクトに取り組む過程でも「こういったGLAYって、やっぱり好きだな」と改めて感じて。前作『FREEDOM ONLY』はわりと優しい感じだったから、「30周年はめちゃめちゃアッパーな感じがいいな」と思っていたことも大きな要因としてありました。今までGLAYは、EXILE、氷室京介さんといった方々とコラボをして、その都度楽しんできたけれど、50代に入り、キャリア30年のバンドとして「また素晴らしいシンガーを迎えて1曲つくりたいな」と。5、6年はずっと探していたけれど、自分の中で、しっくりくる相手がなかなか見つからなかったんです。

特典ドキュメンタリー映像『Road to「GLAY 30th Anniversary GLAY EXPO 2024-2025」』のインタビューでは、「TERUとガチでぶつかり合えるシンガー、いないかな?」という想いで探していた、と語っておられました。
TAKURO

いろいろな人に相談をしていた中、「ENHYPENのJAYという素晴らしいアーティストがいるよ」と聞いて。調べていくうちに、彼が本当にロック好きで、ステージでギターをよく弾くことも知り、ダンス・パフォーマンスを主としたK-POPの枠を超えて多彩な魅力を持っている人だな、というのが第一印象でした。彼がもし興味があれば「一緒にできないかな?」と。もちろん彼らは世界的なスーパースターなので、OKをもらえるとは思っていなかったけれども、半年ぐらい考えても「やっぱり彼だな。JAYと出来たらいいな」という想いが消えなくて。オファーと共にメッセージ送ったら快諾していただけたので、元々あった「whodunit」という曲の構想を元に、JAYとのコラボレーション用につくり直したデモを送ったのが始まりですね。俺の持論として、歌い手が歌詞を書くのはとても自然なことだと思うから、「作詞もしませんか?」ということも含め相談したら、それもOKで。いろいろな幸運が重なって完成に至って、この作品には本当に満足しています。

歌詞には英語と日本語が混在。具体的には、JAYさんとどのようなキャッチボールをして共作されたのですか?
TAKURO

今TERUが歌っているところはほぼ元のままで、JAYが歌うところを「JAYなりに書いてほしい」と伝えたんです。曲の世界観のインスピレーション源となっている映画や小説をイメージの方向性として送って共有し、何回かやり取りをしていきました。彼はアメリカ生まれで英語ができるし、日常会話は全く問題ないぐらい日本語も堪能で。一発目から方向性が一緒で「これでOKじゃない?」というレベルの詞が戻ってきたんです。それに伴いICレコーダーで「こんな感じで歌います」というデータも送ってくれたんですけど、その歌い方とか解釈も本当にピッタリで。いつものGLAYの現場の時と同じように、レコーディングの時に少しそこから変えたりもして。本当にスムーズでしたね。

レコーディング風景のドキュメントでは、TAKUROさんから「バディみたいな感じ」とJAYさんに歌詞のイメージを伝えていらっしゃいましたね。
TAKURO

反発し合いながらも認め合う 2人が、追いつめられながらそこから切り抜けていくような、例えば映画だと『俺たちに明日はない』とか、悪党版バディーのようなイメージでした。お互い皮肉を言い合いながら、組織に追いつめられていく2人が、最後は華麗に危機を切り抜ける、という。

<鬼>という言葉選びには、日本っぽさも感じられて驚きました。
TAKURO

そうなんだよね。彼が歌いやすいことがいちばんで、彼自身の言葉で書いてほしい、と思ったから1つ1つの意味を訊いて確認し合うことはなかったけど、なかなか面白いチョイスだなと思った。音楽的理論を超えたキャッチーさがあるし、「なるほどな」と思いましたね。

今年3月、JAYさんのレコーディングのため、TAKUROさんとTERUさんが韓国へ行かれていましたね。
TAKURO

俺は現場にリーダー2人は要らないと思っているから、あくまで韓国でのレコーディングは、TERUにプロデューサーのような役目をしてもらって。素晴らしい才能を前にして、ワクワクを止められない様子は伝わってきましたよ。今回何より新鮮だったのが、JAYのグルーヴ感とリズム感。よく聴いてもらうと、JAYのグルーヴでAメロが全て支配されているのが分かると思う。俺たちのほうが先に録ったんだけど、そのグルーヴの中で大いに楽しんでもらっている感じというか、うねっているというか。「このリズム感、すごいなぁ」と思いました。JAYが韓国でキャリアを培ったからか、ダンスの間(ま)の取り方がそうさせるのか、持って生まれてたものなのか、全く分からないけども。この間永井(利光)さんと話したんだけど、日本人が未だ出せていないグルーヴ感を、同じアジアで活躍するアーティストであるJAYがいとも簡単に出せているのは、時代性なのか、生まれた時から聴いている音楽の影響なのか……。日本人には日本人のグルーヴがあるし、良い悪いの話ではなくて。少なくとも昭和平成の、いわゆる洋楽的なグルーヴを手にしたと思われるアーティストたちすら醸し出せないグルーヴ感を目の前にして、「これか! なんて気持ちいいんだろう!」と。JAYの歌声に着いていくと、そこはもう全く違った開けた世界だった、という印象でしたね。こういったコラボレーションで教えられること、学ぶことは大きいな、と思いました。

JAYさんはヴィンテージ・エフェクターを買い集めているそうですね。
TAKURO

HYBE社屋の中にJAY専用の制作部屋みたいのがあって、そこへ案内してくれたんですが、ヴォーカリスト、パフォーマーとしてというよりは、純粋なギターキッズの部屋でしたね。音楽の好みも気が合って、ブルースが好きだと言うし、まさか20代の子とスティーヴィー・レイ・ヴォーンの話で盛り上がるとは思っていないから、ますます好きになりましたね。

レコーディングが終わった後は、すんなりと完成に漕ぎつけたのでしょうか?
TAKURO

韓国でのレコーディングが終わった時点で90何%は完成して、HYBE側のサウンド処理やエディットはあったようだけど、何が来ても俺にとっては逆に楽しみでしかなかったです。HYBE側のエンジニアの方とキャッチボールをして、工藤(雅史/エンジニア)さんも様々なプラグインを買っては「これは違う」とか、いろいろな音を試しながら頑張ってくれていましたね。ドラムの処理も何もかも、JAYが参加してくれたことによる影響で今回は新鮮だったから、求めるサウンドの手触りに値する音探しに苦労してた。HISASHIも「この音じゃなきゃいけないから」ということで、いろいろと新しく機材を試したりしたみたいです。俺の知らない綿密なやり取りがあったと思う。

HYBE側の求めるフォーマットや基準値があった、ということですか?
TAKURO

それに関してはGLAYチーム側は勉強させてもらうつもりで、1個1個やり取りをしながら少しずつ完成に近付いていった、という感じです。

2分半を越えた辺りから、ダブっぽい残響音が広がるパートがどこか幻想的で、新鮮でした。
TAKURO

♪The Harder They Come~という部分のメロディーを思いついた時は、「面白いな、新しいかもな」なんて、自分でもワクワクしたかな。「やった、扉を開けた! 一つステップを踏めたな」という手応えはありました。Aメロ、Bメロは20年以上前に既にあって、そのパートと、♪Fuu……というスキャットのところだけは後から付け足したので。この曲のほぼ全てのアレンジはHISASHIが手掛けたんですが、ロスと日本とで何回もデモのやり取りをしましたね。最初のメインテーマである♪タッタッタッタタッタタッタ~に行き着くまでにはかなり詰めましたね。面白かったですよ。

あそこはシンセですか? エフェクトを掛けたギターでしょうか? 曲の強烈なフックになっていますよね。
TAKURO

あれはシンセですね。これはHISASHIに訊いてみてほしいんだけど、それはそれは不思議な機材を使っていたはず。生では再現が難しい、と言ってた記憶があります。

曲づくりの時系列的には、2023年の夏頃、TAKUROさんからJIROさんに「この曲にちょっとベース入れて」とデータを送ったところから始まったのですよね?
TAKURO

そうです。俺のデモテープにJIROにベースを入れてもらったら、JIROのベースがまた素晴らしく良くて、俺のチョ弱なドラムでは対応できなくて(笑)。HISASHIにアレンジを振り、出来てきたデータに対してJIROにもう1回ベースを弾いて入れてもらい、新解釈を加えて。アルバムの曲も含め、去年の夏にメンバー全員で繰り広げていた“地獄の1000本ノック”の一つの賜物ですよ。

JIROさんから最初に送られてきたベースから、TAKUROさんはどのような印象を受けたのですか?
TAKURO

……考えてみると、ここ数年、JIROがR&Bとかダンス・ミュージックとかに刺激されて弾くようになったベースの影響で、「JAYがいいかも」と思ったのは大きいかな。自分はビートの人ではないとは思っていたし、ビートの曲であれば氷室(京介)さんとの「ANSWER」が最高峰で、あれを超えられることはたぶんもうないので、「まだ見ぬ違う才能に出会いたい」と思っていて。「ENHYPENのJAYという人がいいんだけどな。どうなんだろうな」なんて頭の中でおぼろげに思っている時に、JIROのベースを聴いて、「この(横に揺れる感じの)グルーヴに似合う人がいいな」と。そこで「よし、JAYに頼んでみよう」となったのは確かですね。

JIROさんのベースのアプローチが、JAYさんへオファーする決め手となった、と。
TAKURO

『FREEDOM ONLY』ぐらいからそうだけど、やっぱり「THE GHOST」(JIRO作曲)がGLAYにもたらした影響は計り知れなくて。俺の中では、「このアプローチで10年費やしてもいい」とすら思っているぐらいなんです。「GLAYはもっと面白いバンドになる」という、あの予感の第一歩みたいなところはありますね、「whodunit」は。だから「whodunit」は、「THE GHOST」への俺なりのアンサーソングと言えるかもしれない。

HISASHIさんにアレンジをお願いする際、何かキーワードはお伝えになったのでしょうか?
TAKURO

何て言ったかな? 「なんかいい感じで」って(笑)。

難易度の高いデモが来た、とは、ドキュメント映像のインタビューではお話しされていましたが(笑)。
TAKURO

やたらベースがすごいのにリズムがショボいデモを送って「俺の手に負えないから頼む!」みたいな。他の曲だったら「ZI:KILLっぽい感じで」とか「『TRAIN-TRAIN』みたいな感じで」とか言うんだけど。

かつてない手触りの曲になっていると感じますし、30周年にして、GLAYは新しいことにまた挑戦されたのだな、と驚きました。
TAKURO

完成した時は誇らしかったですね。ある種の初期衝動みたいな、『THE FRUSTRATED』というアルバムを「やっぱりいいな。そういえば、GLAYのそういった面にここしばらく手を付けていなかったな」というところから始まって。30周年というタイミングであること、JAYとの出会い、そういったいろいろな点が真っ直ぐに1つのゴールに向かうような感じで、GLAYがそれを全て飲み込んでキッチリ消化するあたり、「メンバー皆すげぇな」と思ったよね。

そういうチームをTAKUROさん主導でおつくりになった、ということですよね。
TAKURO

まぁ、何かしら役に立っているんだったら、それもまたうれしいもんだなと思うし。真面目にやってきたからこその、JAY側のOKだったりもするだろうし。これがGLAYじゃなかったらNOと言われていたかもしれないじゃない? 真面目にやってきたことへのご褒美のようにも感じて、誇らしいやら照れくさいやら、ですね。

先方にとっても、レジェンド・ロックバンドGLAYとの夢のコラボレーションですから。
TAKURO

そんなことを言ってもらう機会も増えたから、自分たちのキャリアがまた新しい風を吹かせてくれるなら、「途中で辞めなくてよかったな」と思うし。いろいろな感慨深い想いで今回は制作していましたね。

両A面の「シェア」は、「whodunit」とは対極の柔らかい世界観で、振り幅に驚きました。
TAKURO

どうかしてるよね(笑)。自分たちでも「狂ってるなぁ」と思う。

闇黒の地底から、春風が吹く光の世界へ飛翔するようなギャップが痛快でした。いつ頃生まれた曲なのでしょうか?
TAKURO

あれは幕張に泊まった時だったから、翌日幕張でのライブがある、コロナ禍前のいつかですね。すんなりと10分ぐらいで(曲の原型を)つくりました。コロナ禍前のホールツアーのどこかの会場で、リハーサルが終わってから俺と村山☆潤(サポートキーボーディスト)と永井さんとでアレンジをし始め、レゲエ調にしてみるなど模索したんですが、与えるべきリズムが見つからなくて一回寝かせ、コロナ禍になり。この曲が復活するきっかけになったのは、ももいろクローバーZの玉井詩織ちゃんに「We Stand Alone」という楽曲を提供したこと。亀田誠治さんのアレンジが素晴らしくて、「近年のJIROのベースが絶対生きるだろうから、このシティーポップをGLAYでやったら絶対面白い」と思ったんです。林哲司さんの世界だよね。杉山清貴&オメガトライブというか、AOR的な。HISASHIは我が道を行くけど、ドラムとベースと俺のギターだけを取ったら完全にシティーポップのフォーマットの曲になっていますね。

歌詞には春夏秋冬を美しく描き込まれています。TAKUROさんの中ではどのようなテーマ設定だったのですか?
TAKURO

頭の中にはイメージはありながら、北海道のIT企業である株式会社HBAから創業60周年CMソングとしてオファーをいただき、そこから詞は書き始めていきましたね。テーマとして北海道だったり、共存共栄だったり、という言葉が並んでいたので、「この曲が合うな」と思ったので。おっしゃる通り「whodunit」とは真逆だし、オシャレでクールではあるけれど、俺らの中では今まで以上にブッ飛んでいて。「このカードを切ったか」という曲になりました。いつも言っているように、TERUが歌えば何でもGLAYだからね。

2024年2月、QUEEN+ADAM LAMBERTと共演した札幌ドーム公演から4曲のライブ音源を収録。あのライブは、GLAYに何をもたらしたと思われますか?
TAKURO

QUEENは偉大なる音楽界のレジェンドだけれど、若きシンガーを配したQUEEN+ADAM LAMBERTという形で活動していて、そんな彼らが40数年ぶりに札幌でライブをする、と。ブライアン(・メイ/Gt)の大学の後輩にあたる方がいて、ロスで桃井かおりさんを通じて知り合ったんだけど、その知人から4、5年前に「今度QUEENが日本に来る時、GLAYと一緒にやらない?」なんていう話があり、「光栄です、ぜひぜひ!」と言っていたのがようやく今年実現した、という経緯がありました。気持ちはキッズだけど、俺たちはもう大人で、70歳を過ぎてもああやって活発な活動をすることのすごさも分かるし。フレディ(・マーキュリー/Vo)はいない、ジョン・ディーコン(Ba)も参加していない中、若いアダム・ランバートを入れてQUEENを名乗り、世界ツアーをする。これはどういうことか? 想像してみてほしいんだけど、TERUとTAKUROがいなくて、ゲスト・シンガーとサポート・ミュージシャンがいて、HISASHIとJIROはいます、と。それで「GLAYです」と言ってツアーをやったとして、「これはGLAYなのか?」って。

考えてしまいますよね……。
TAKURO

ジョン・ディーコンは「フレディがいないQUEENはQUEENじゃない」というスタンスで、ブライアンとロジャーには、遺志を継いで素晴らしい世界遺産としてのQUEENを後世に伝える、という使命があるんでしょう。アダムはどうあってもフレディと比べられ、自分のキャリアの大半をQUEENに捧げることになる。その覚悟は想像を絶するし、余りある大変さじゃない? そんな人たちと同じステージに立つとなった時、俺が思ったのは一個だけ、「気持ち良く最高のライブをしてほしい」という、それだけだよね。だから緊張なんてしなかった。彼らも現役だし、歳を重ね、たくさんのファンの人たちのいろいろな想いを抱えながら進んでいる。同じバンドマン、ミュージシャンとしてはもう胸が潰れそうだし。「自分だったらどう判断するだろう?」と問いを突き付けられるし、究極の難しいことを、とんでもないバランス感覚と、とんでもない規模で実現して世界を回っているバンドだから。そういう人たちの想いに寄り添いたい、としか思わなかったね。

GLAYのセットリストは最強のヒットパレードで、来場者を全て楽しませようとするエンターテインメント精神、ショウマンシップに胸打たれました。
TAKURO

いろいろな要素が重なって……良かったよね。アウェイとはいえ北海道はGLAYにとってホームだし、「QUEENを聴く世代の人はGLAYをどこかで聴いているだろう」という確信もあったから。ただただ、QUEENを、そしてQUEENのファンの皆さんを、いろいろなものを背負いながら一生懸命に生きている人たちを、微々たる力かもしれないけど支えたい、寄り添えればいいなぁとしか考えなかったですね。

その空気感を、4曲のライブバージョンとしてシングルには封じ込め、リリースされるということですね。
TAKURO

あの時の俺たちの演奏は、ちょっと特別だったと思います。

音源で聴いても素晴らしかったです。聴き慣れた曲たちですが、特別な熱量を感じ、グッときました。
TAKURO

ファンの人たちと思い出を共有してつくり上げてきた「SOUL LOVE」とは、また違うんだよね。アウェイだったり、GLAYをあまり知らない人たちの前でやる「SOUL LOVE」に対しては、「あなただったら大丈夫。胸を張って俺たちの前を歩いてください」みたいな、絶対的な信頼感、安心感があるんです。俺たちはもちろんベストを尽くすけど、それ以上に存在感のある、あの場所における絶対的リーダーみたいな。あの日は1曲1曲がそうで、「この店長に着いて行けば大丈夫」みたいな、自分たちを引っ張ってくれる“リーダーズ”が並んだセットリストだった。普段のGLAYのライブでは “自分たち”に重心があるけど、たぶんGLAYのことをあまり知らないだろうな、という人たちの前でやる時には“曲に”重心がある。心の置きどころが自分たちなのか、曲なのか。この違いはあると思いますね。

そういう曲たちを育て上げた30年だった、とも言えますね。
TAKURO

バンドのキャラクターを曲に超えられると、バンドが長生きしづらくなるとは言うよね。曲のパブリックイメージのほうが大き過ぎる人たちは、そことの戦いに終始しなければいけないけれど、俺たちは上手い感じで、バンドがちょっとだけ先を歩いていけたんじゃないかな?とは思います。自分たちのピンチな時、大変な時にはやっぱり曲が「俺たちに任せろ!」と言ってくれるもんね。俺たちは普段通りやれば「ディレクションは自分たちがしますから」という声が、曲から聴こえる気がします。

ライブを終えられた後、QUEEN+ADAM LAMBERTのメンバーの皆さんとお話されたそうですね。どんなことを話されたのですか?
TAKURO

(QUEEN+ADAM LAMBERTの)ライブの直前だったから5分ぐらいだったけど、ブライアンは俺たちのショウを観て感想も言ってくれたし、ロジャーとは27年前の『ミュージック・ステーション』で共演した時の話を少ししたりして。アダムとは話はできなかったんだけど、デカかったね(笑)。桃井さんも俺らが出演するってことで応援に駆けつけてくれて、ロジャーの子どもたちの観光案内をするのが役目だったらしく、日本を楽しんでいるという話を聞きました。バンドでワールドツアーをして、好きな国に家族と共に行く……「良かったな、夢があるな」と。ブライアンはたしか76歳だと言ったけど、音もすごいし、走っていたからね。俺が20代、30代だったらもっと慄いて、自分のことで精一杯で、いろいろなことが見えなかったかも。一緒にできたのが50代で良かった。ただの尊敬だけでは終わらず、自分たちの今後の活動の目標になったりするような、いろいろなギフトをもらった気もします。

文・大前多恵

BACK