GLAY LAYER 1
「俺たちは未来に対してとっても素直」TAKURO
俺たちは未来に対してとっても素直なところがあって、 ドームツアーの中止に関しては多分、皆が思ってるほどには深刻に受け止めたメンバーはいないんじゃないのかというのが俺の印象ですかね。当時の心境は“まだよく(新型コロナウイルスのことが)分かっていないのに、あんなに人を集めちゃヤバイよね”“自分が好きなGLAYはそれをよしとしないだろう”と思った記憶があります。歴史を振り返ってみた時に人間の取るべき行動は過去からいっぱい学べるじゃないですか? 人間はいつも最後の最後に間違えるけれども、そうだとしても、それが自分の愛したGLAYであったり、“もし自分が相手の立場だったら…”と考えた時に取る行動に関しては迷いもなければ、後悔もないですよね。“生きてりゃあ、またやれるでしょ”っていう。
GLAY LAYER 2
「気持ちは何層にも分かれている」TAKURO
気持ちとしては何層にも分かれてて。例えば、今、仕事の面でとっても辛い思いをしている人たちの気持ちは、100%は無理かもしれないけれど、自分たちも同じような立場に置かれたのでちょっとは分かる。で、それとはまったく真逆で、ウイルスというものを紐解いていった時、(コロナ禍は)その進化の過程であることは間違いなくて、それは学術的な事実だったりする。“大好きな人が死んだらどうしよう?”というのもあるけれども、“街の居酒屋さんが大変だ”というところもある。さらに人間の死というものを超えた歴史的な事象でもあって、毎日々々、いろんなポジションになって考えを張り巡らせていくと、むしろ落ち着きますよね。物事の見方はひとつの面だけでないという。
GLAY LAYER 3
「GLAYには事件なんて一個もない」TAKURO
(「FRIED GREEN TOMATOES」を)レコーディングした時に街でよく流れている、あいみょんの曲のことがたまに頭を過って、“彼女の抑制の効いた曲の数々は今の自分の気分に合うなぁ”って。ガチャガチャしてないし、シンプルで、いいメロディーといい歌詞、いいキャラクター。“あ、「FRIED GREEN TOMATOES」をリリースするのは今なのかも”って、彼女の存在に触発された部分はあります。“自分らももっと肩の力を抜いて、やたらと派手にしなくても、ドラマティックにしなくてもいいんだ”という。あと、『ONE LOVE Anthology』(DISC 3収録)のドキュメントを見返してて思ったんですけど、GLAYには事件なんて一個もないんですよ。でも、20年後となると事件なんかなくても十分に見られるというか、人間が生きてゆく中で日々の場面は決してドラマティックではないけれど、“ああ、俺たちはこうだったな”という。
GLAY LAYER 4
「映画『FRIED GREEN TOMATOES』」TAKURO
映画『FRIED GREEN TOMATOES』を見たのは20歳くらいだったんだけども今になってみると、“何故、今、自分はロサンゼルスにいるのか?”とか、“何故、自分はアメリカンカルチャーにこんなに興味があるんだろう?” とか、その答えみたいなものがありますね。特に1920年代から1950年代にかけてのブルースとか、南部の鉄道やお店などに対して、(アメリカの)歴史に対して、物語以上にすごい興味があったのね。結果的には映画で描かれている問題は解決していないことだらけ。……ただ、それでも黒人の大統領が誕生したり、女性の副大統領が登場したりとか、少しずつ前には進んでいるとは思うけれども、人間は人間が頭で思うほど割り切れるものではなく、ホントに三歩進んで二歩下がり、時には四歩下がり、それでも時間は真っ直ぐに前に流れているという。
GLAY LAYER 5
「人間の本質をアートに昇華させられたら」TAKURO
“自分は夢を叶えるんだ!”と無我夢中になること。それはとても美しくて、魅力的だけど、そこに“でも、俺には無理かも…”というのが加わるとブルースになる。世界は素晴らしいと思いながら、それこそ辞書で“悪魔”と引くと、それを一番体現しているのは人間かもしれないというところに至った時に、ブルースになるというかね。今はそういうことを歌いたいと思うんだな。GLAYは解散しなかったからこそ、この4人の人間関係の中で進めてきたからこそ、そこに至った。アルバム10枚で止めていたら、あとから振り返った時、“夢を高らかに歌う北海道出身の4人組”みたいなところで終わっていたのかもしれないよ。あえて“芸術”というちょっと恥ずかしい言葉を言うならば、人間の持っているものをアートにまで昇華できたらなって思う。それは20代、30代の時はまったく考えていなかったことだよね。
GLAY LAYER 6
「人間は最後に間違いを犯す」TAKURO
人が間違いを犯すという事象と、それを本人ないしはその周りの人がどう思うかということはまったく別の問題ですよね。“人は間違いを犯すから、犯さないようにしよう”というのは人間の思考の中だけの話。どんなに安全運転をしたって事故はなくならない。そういうことが今回のアルバムのどの曲にも混在していますね。アルバムタイトルにもなっている“Freedom only”はCarpentersからの引用で(※「I Need to Be in Love」、邦題「青春の輝き」)、《Freedom only helps you say goodbye.》=“自由というものは、あなたがさよならを言うことにだけ手助けする”という、何とも芯を突いた一節に出会った時、“ああ、今、歌うべきことはこれかもしれない”と思って。諦めてもいなければ、認めるわけでもない。ただ伴走するというか、並走するというか、ただ付き合って、何となく上手いことなだめながら生きるということなのかなっていう。
GLAY LAYER 7
「ひとりの人間として感じたことを歌にする」TAKURO
やっぱり“対GLAY”や“対自分自身”に関しては、世の中の流行り廃りが何であれ、自分が心から震えるメロディーやワードじゃないと、何かこう……恥ずかしくてメンバーの前には出せないという。だから、時々、振り切った社会性を帯びた曲が出て来るけれども、それは音楽人である前にひとりの人間として日々の生活で感じたことを歌にするのが自分の生業じゃないのかと思うからだし、(「FRIED GREEN TOMATOES」は)そう思ってきた時期のものでもありますよね。そういうのはあえて入れないと言う方もいますしね。時代性を感じさせると、簡単に言えば曲は古くなるし、永遠性が失われる。そう言う発言も見たことがあるけれど、俺らは真逆かもしれないですね。自分が何歳の時に何をやっていたのかということに対して素直というね。
GLAY LAYER 8
「人は気を付けながら進んでも間違えたり転んだりする」TAKURO
“努力は必ず報われる日が来る”みたいなことをよく言うけど、絶対に人は鳥のようには飛べないじゃないですか? だけど、“いつか飛べる日が来る”みたいなことは言われる。俺はそう願うことを否定しない。“そうだね。いつかは飛べるかもしれないね。いつかは君の夢が叶うかもしれない”と言うけれども、時が経ち、現実として叶わないこと、その子が叶わなかったと思ったことは確実に存在するからね。改めて今、青春真っ盛りの子供たちを見ていると、“結末は分からない”と、“親たちは結末を知っている”という2つが混在するよね。あとになってようやく答え合わせをした時に、“あ、俺はあそこで間違えたんだ”と思う。でも、その時は間違えるなんて当然、分からないよね。人は気を付けながら進んで行くんだろうけど、それでもやっぱり間違えたり転んだりする。でも、それが人間のおかしみでもあると。
GLAY LAYER 9
「いつでもGLAYらしく時代に順応」HISASHI
(コロナ禍は)長い歴史の中でも我々人類の前に立ちはだかる大きくブ厚い局面だと思っていますし、知能に長けたはずの人類の愚かさが露呈した姿じゃないかな。知らず知らずの内に快適な飽和状態が爆発した──そんな印象です。環境問題を横目に、(エアコンで)キンキンに冷えた部屋から(自動車に乗って)ガソリンを燃やして、スタジオへ向かうわけですからね。誰もが、間違いなく今回の問題を契機に、より深く考える方向へ向かっていくのは事実だと思います、自分も含めて。とはいえ、僕の信念としては、いつでもGLAYらしく時代に順応して、適切な配慮の元に真摯であって、浮足立たないような感じ──その反面、ユニークかつアイロニックな匠のパンチラインを見えない速さで狙ってる感じです。『THE ENTERTAINMENT STRIKES BACK』もそう。“どんな猛攻でもこのスタンスで佇んでいたい!”と思ってやるしかないからね。
GLAY LAYER 10
「誰も罪深さ、残酷さを書いてくれない」TAKURO
美メロに対して結構、残酷な言葉を乗せるのは、もう俺の性癖(笑)。(「BETTY BLUE」は)非常にゾクゾクしながらやりましたね。こうした面白さは、1980年代にUP-BEATの広石武彦さんなどから学びました。でも、これは俺だけが感じていることかもしれないけど、ここ何年間か、巷の歌を聴いていると、人間の感情みたいなものをざっくりと分け過ぎてて、“喜怒哀楽だけじゃないんだけどなぁ”という一リスナーとしての感想はあります。“励ますなら励ますでもいいんだけど、誰かを励ますことの功罪は描かないんだ?”とか、誰かに寄り添うことの罪深さ、残酷さというものも聴きたいなと。そう思った時、“誰も書いてくれないから、自分で書こう”というところはあったかもしれないですね。
GLAY LAYER 11
「“自分のための正しい音楽史”みたいなアルバム」TAKURO
(「青春は残酷だ」のイントロは)いつものようにHISASHIに“いい感じにして”と丸投げしたら、こうなった。まぁ、その辺は彼なりのユーモアなんじゃないかと思って、そこはあえて何も言ってない。でも、あの“Asus4”は“もう皆のものだろう”みたいなところがあったんじゃないかな。今回は、自分たちの音楽の捉え方として、“自分のための正しい音楽史”みたいなアルバムがいいなと思ったから、“手触りはREBECCAにしてみよう”とかね。“青春”という言葉があるように、自分たちが青春時代に聴いてきた音楽的な背景なども織り交ぜながら…という。でも、青春だ何だという歌を、その真っ只中の人が歌っているわけじゃないからね。そこでの一抹の寂しさみたいなみたいなものは絶対にあって、俺はそれをセクシーだと思う。
GLAY LAYER 12
「“maj7”をようやく使いこなせる」TAKURO
「青春は残酷だ」に関して言うと、自分にとってすごく嬉しかったのは“maj7”がいっぱい出てくることで。1990年代のGLAYでここまで“maj7”が出るのは「Miki Piano」くらいかな(※1996年のアルバム『BEAT out!』収録)。それでも、あれはほとんどメンバーは参加してなかったし、ビジュアル系出身であり、Nirvanaが好きで、好きなギタリストはNuno Bettencourtで…みたいな時のGLAYに“maj7”はなかなか馴染まなかったというか。甘くて軽い感じはするでしょ? 軽やかで、お洒落。それをようやく使いこなせるようになったなと。作曲としては30年近くかかった感じはあるよね。あのAメロに関しては、あの洒落た感じで進めることに、とっても喜びを感じてます。
GLAY LAYER 13
「言葉に出来ない人間臭さ」TAKURO
ここ何年間か、いろんな人たちの歌詞を見ていると、人間の感情みたいなものをざっくりと分け過ぎてて、“喜怒哀楽だけじゃないんだけどなぁ”というのが一リスナーとしての感想はありますね。“励ますなら励ますでもいいんだけど、誰かを励ますことの功罪は描かないんだ?”とか、誰かに寄り添うことの罪深さ、残酷さというものも聴きたいなと思った時、“誰も書いてくれないから、自分で書こう”というところはあったかもしれない。作家としての部分で言うなら、言葉に出来ない人間臭さ…みたいなね。この間、『ONE LOVE Anthology』で「Christmas Ring」を改めて聴いたけど、《「それゆえに愛が深まる」と抱き合いながら うわの空》という歌詞があって、“えっ!? 愛してるの? 愛してないの? どういうこと?”という感じなんだけど、もし俺が映画監督なら、そういうハッピーエンドじゃない映画をいっぱい撮るんだと思う。
GLAY LAYER 14
「膨大な日本の音楽を自分の血肉に」TAKURO
ギターに関して言えば、“TAKUROと言えばこれだよね?”というものは過去のアルバムにはひとつもないと自分では思っています。(プロデューサーの)佐久間(正英)さん監修の下から始まり、それを探す旅を20数年間やってきて、俺は今回のアルバムでようやく自分らしさ、“これが俺だ!”というものを手にした気がするんです。だから、今回はギタリストとしてのデビューアルバムにかなり近いですね。頭の中にある膨大な日本の音楽を情報処理して、自分の血肉として出せるようになった。それはJIROにも感じますけどね。亀田(誠治)さんと組んで4枚目、ベーシストとしてあそこまで歌えるというのは、JIRO自身がここ5年間くらいで手にしたシグネチャートーンじゃないかなと、個人的には思うんですけどね。
GLAY LAYER 15
「走馬灯のページをめくる」TAKURO
コロナ禍は地球規模の災害、地球の危機と言っていいと思うんですよ。何百万人も亡くなっているわけだから。そうなった時、やっぱりおぼろげながら自分の今までを思い返して、その上、時間なんかもあるわけだから、過去に自分が作ってきた楽曲群を聴き直し、未発表のものをもう一度掘り起こし、ザックリ簡単に言うと、走馬灯のページをめくるみたいな感じではありました。そんな中で“こんなに自分の心に響くこの曲は、どうして当時リリースされなかったんだろう?”というものがたくさんあって。俺は過去の楽曲に対して、もう一回、語りかけたというか、会話を始めて、“どうしてこの曲がリリースされなかったのか? クオリティーの問題なのか? 時期の問題なのか? それとも自分自身の問題なのか?”ってじっくり考える時間があったんですね。
GLAY LAYER 16
「60歳、70歳に向けた新たなテーマ」TERU
全体的に歌詞を見た時、時代を超えた人、ひとつピークを超えた人が振り返る歌詞が多くて、第二の人生を歩み始めようという想いも感じられる。あと、「BETTY BLUE」がそうなんですけども、一人称視点なのかなと思ったら相手が出て来る──最初は自分の恋愛の歌を歌っているんだけれども、途中で相手の言葉が返ってくる。その辺りが今までのTAKUROとは違う手法だと思いました。……何でしょうね? 実体験ではなく、ひとつの小説を書くような、物語的なものをすごく感じますね。“自分が苦しかった”とかじゃなく、“こういう苦しいこともあるよね?”と投げかける…みたいなね。今まではGLAYのバランスとか、“TERUが歌うから、こういう言葉選びで”とか、そういうのがあったと思うんですけども、今回はそういうことを全部一回取っ払って、自分がやりたい作風というものを作り上げている気はします。それは多分、60歳、70歳に向けて、また新たな自分のテーマを考え始めたんじゃないかなって感じますね。
GLAY LAYER 17
「天才の相方は辛い」TAKURO
ギターに関しては、全曲でそうだけれども、自分のスタイルは一旦置いておいて、今回はまったく新しいアプローチでやってますね。簡単に言うと、HISASHIのギターが最大限に活きるもの、GLAYがギターバンドであるという理由がはっきりと分かるものを…ということはかなり意識して弾いてます。永井さんがドラムだということも含めて、(GLAYで演奏するということは)なかなか重圧かつ大仕事なんですよ。コンプレックスの塊ですよ。高校時代からHISASHIさんは天才でしたからね。天才の相方は辛いという話ですよ。だって、俺が10年かかったことを高校時代にチャラっとやっちゃってて、しかもその事実を知っているのは俺しかいないという圧倒的孤独感と来たら…。皆、気を使ってくれて言うんですよ。“TAKUROくんのギターも好きだよ”なんて言うけど、“いや、一回、お前がHISASHIと組んでみろ”と。自分のプライドなんか粉々ですわ。
GLAY LAYER 18
「“sus4”からのリフは全ミュージシャンに開放されていい」HISASHI
僕らの聴いてきた音楽のルーツを辿ると、結局は洋楽オマージュというか、パロディというか──そんな感じで左手が自然と抑え方を記憶しているんですよね。(「青春は残酷だ」での)所謂“sus4”からのリフは、そろそろ全ミュージシャンに開放されてもいいクエストなのではないでしょうか? 先代の皆様はそこら辺をどう思ってるか是非訊いてみたい(笑)。あと、今回は“ギタリスト・TAKURO”が際立ってきたと感じる方がいらっしゃるようですけど、それはHISASHIのアプローチ&アンサンブルの妙が秀逸だからです(笑)。“イントロ、ソロ以外でもっとHISASHIの音聴きたい!”という方には、エンジニアの工藤さんに向けたクラウドファンディングを立ち上げていますので、是非そちらの方にご参加いただきいですね。最上級者には耳元でバッキングを奏でてあげるという糞コンテンツ発動中ですから是非トライしてみてください(笑)。
GLAY LAYER 19
「僕のイメージでは『BELOVED』に似ている」JIRO
いつも各々に“このアルバムに当てはまると思うような曲を作ってきてくれないか”とTAKUROからオーダーが来るんですけど、今回に関しては“もうこれで行きたい”と。他のメンバーのデモもあったんですけど、“これで行きたい!”という強い意志がTAKUROの中にあったんで、“今回はすごい覚悟を持ってるんだろうな”って思ったし、“今これを歌っていいのか?”っていうことをすごくTAKUROは考えたと思う。あと、このコロナ禍で日本国内がどんよりとしているところに、純粋な、いい音楽を届けたいという想いもあって、そこで選曲したと本人は言ってましたね。僕のイメージでは『BELOVED』に似ているなという感じがすごくしているんですよ。あの時もTAKUROは“純粋にいい曲を集めたアルバムを作りたい”と言ってたんですけど、今回まさにそれと同じようなことを言ってこのプロジェクトがスタートしましたから。
GLAY LAYER 20
「“GLAYは馬鹿ソングでいいや”と思った」TAKURO
今、綺麗事というものが良しとされていて、それこそ“自粛警察”なんてものもそうかもしれないし、世の中で正しいと言われるもので相手のほっぺを思いっきりビンタするみたいなことが流行っているから、“いやいや、自分は自分の中のズルさや汚さを知っているはずでしょ?”っていう。そういうサウンドになればいいなと思ったよね。あと、このコロナ禍でBTSの「Dynamite」に元気を貰っていたんですが、あの曲とパフォーマンスの持つ明るさに救われたというか、前向きさに救われたというか。そこから振り返って日本という国を見た時に“寄り添う”系が多くて。いろんなアーティストが“大変だから頑張ろう”みたいものを歌っているのを見て、“GLAYはお陽気ソングでいいや”と思ったのね。
GLAY LAYER 21
「“お客さんの前でライブやりてぇな”が頭の中の90%」TAKURO
(アルバムは)日本でずっと生きている、あるミュージシャンの“日々雑感”みたいなものですね。そこは一貫してます。子供が出来たら“子供が出来た”と歌うし、“歌うことがない”っていう歌も作ってきたし、調子悪い時は調子悪いし(笑)、いい時もあるし。今回、函館で改めて思ったけど、“俺はホントに東京を目指してバンドをやりたかったんだなぁ”って。コロナ禍で何をしたかったかというと、それはシンプルで、只々“お客さんの前でライブやりてぇな”が頭の中の90%を占めてましたよ。“皆とワイワイ、リハやって、お客さんの前でライブやって、打ち上げしたいだけなんだけどな”って。それがままならないから他のことをやったりもしましたけど、ホントに何がやりたいのかをこれほどまでに感じた期間はかつてなかったよね。
GLAY LAYER 22
「TOMI YOとの新しい出会い」TAKURO
「BAD APPLE」のデモを皆に聴かせた時に、TERUから“この曲はすごくいいから、TOMI YOくんという新しい人とやりたい”ということで。TERU自身が本人とDMで連絡取って段取り付けてくれて。だから、完全なTERUマターです。俺はもちろん(TOMI YOの)名前は耳にしてたんだけど、どれが彼の仕事か知らなかったの。でも、その辺は相変わらずGLAYですから、情熱を持っている奴が旗を振ってそのプロジェクトを進めるので、この曲に関してはTERUがグイグイと舵を取ってくれて、TOMI YOくんとの新しい出会いもあり…という。“やっぱり、すごいなぁ”と、その仕事ぶりに驚きと喜びがありましたからね。(完成版は)最初の彼のデモの段階から変わってないんじゃないかな? “この方向でいい”ではなく、“これがいい”という。ちょっと江戸川乱歩的な感じなんだよね。それが病みつきになるという。
GLAY LAYER 23
「普段の日常会話がすべて歌詞の接点」TERU
しょっちゅう一緒にいて、世界的な情勢だったり、日本の状況だったりを呑みながら話したりしてるから、「BAD APPLE」の歌詞を見れば“兵士たちが夜空を見て何かを思いながら…ということを想像して歌詞を書いたのかな”と思ったり、普段の日常会話がすべて歌詞の接点というか。あと、小学校からずっと一緒なので、高校生のちょっと寂し気な恋愛の歌だと “あ、これは○○先輩と別れた時の歌?” みたいな(笑)。何となく想像は付きますね。例えば、「Winter,again」にしても、その情景は全員が見ているという。冬の夜にライトが照らされてその下を雪がフワッと風で舞う感じとか、そういう情景を皆、見ているので、すぐに音が出て来たり、その曲の表情に変わっていったりしたと思いますね。今回の歌詞は物語を綴っているので、その物語のストーリーテラーになっているような感じで歌っているのかもしれない。“「BAD APPLE」はホントにTERUさんが物語を語っているようでした”とTomi Yoくんにも言われましたね。
GLAY LAYER 24
「日頃、囚われている意味からの脱出、脱却、解放」TAKURO
「小橋の夢」ではさすがに想像力が足りないってことで、最初は「函館キッド」にしようと思ってたんですけど、JIROが“そのタイトルはイヤだ”と(苦笑)。で、小橋=TERUは音速で駆け抜けているわけだから、「Hypersonic」という1990年代のブリティッシュロックみたいなタイトルにしました。(内容は)テンプレートの多い日本のロックの歌詞へのささやかな抵抗でもあるし、皆が日頃、囚われている意味というものからの脱出、脱却、解放でもあって、それぞれの心の中にある小橋を目覚めさせたいという(笑)。それを“早稲田の学祭ライブの時のレベッカの「プライベイト・ヒロイン」のみたいにしたい”と言ってHISASHIに投げて、帰ってきたのがこのバージョンです。イントロ前のSEは、今のGLAYのバンドとしての調子だったり、人間関係だったりがちょっと見えるものを作ってくれって、それもHISASHIに丸投げしたんですけど、意外にもアレが出て来て。あんなにいろいろと世の中を斜めから見る男が、GLAYに提供するマテリアルがすごく素直だったというのはいいですよね。(笑)。
GLAY LAYER 25
「俺はまだ人間というものをまるで理解していない」TAKURO
自分なりにこの短い人生の中で観察してきた結果が「祝祭」に含まれているよね。“言葉を少し工夫すれば争いは減るんじゃないか?ゼロになるとは言わないが、そうすれば100ある紛争の1が3日間だけ休戦するんじゃないか?”とかね。ひとつですらなくならいと思う。でも、そういうことを歌にしたいと思ったし、それでいつか祝祭の日を迎えられれば…という。ただ、それはあくまでも俺の望みであり、もうひとりの自分は“でも、自分が生きている内には無理だろね”みたいなところはある(苦笑)。人間が掲げる想いなどという、まったくもっておぼろげなものと、揺るがないリアルというものが、今回のアルバムには必要な要素だったという。そのすべての出発が“俺はまだ人間というものをまるで理解していない”ということですよね。完全に理解できる人がいたら、その人が政治などと司るべきだと思うけれども、“こんなに勉強してきた各国のトップの人たちでもそんなものなのかぁ……それじゃあ自分はどのくらい人間の本質を理解していないのかと言えば、自分もまるでしてないなぁ”とかね。でも、それがとっても歌になるというね。“これにメロディーを付けて歌いたいな”って思う。ホントにそう思う。
GLAY LAYER 26
「“普通のタイトルの方が生き残っていく”と」JIRO
過去に僕とTAKUROとで共作した「ビリビリクラッシュメン」という曲があるんですけど、“あの曲なぁ、タイトルが違ったらもっと良かったんだけどなぁ”って知り合いから言われたことがあったんです。“確かにあれが英語のカッコいいタイトルだったらもっと良かったんじゃないかな”というのが僕にもあって(笑)。(「Hypersonic」は当初のタイトルが)「函館キッド」だったんですけど、 “もっと普通のタイトルの方が生き残っていくと思うよ”という(笑)。“絶対に変えてくれ!”って泣いてお願いしたわけではなく、“いやいや、違う方がいいんじゃない?”って感じですよ(笑)。……でも、TAKUROには何か思うところがあったんでしょうね。その辺りはコロナを意識したかもしれない。コロナがあって世の中がドヨーンとしている時に“えっ、嘘でしょ!?”みたいなインパクトを出したかったんでしょうね。
GLAY LAYER 27
「必要なのは安全や正しい情報」TAKURO
アルバムタイトルを『ROCK ACADEMIA』にしようと思った時もあったんです。(一昨年)「Into the Wild」を作って、俺はそっちの方向もアリだと思ってたんですよ。でも、(コロナ禍で)バンド活動が一旦停止したり、 GLAYらしい配信として今年に入ってから4ヶ月連続配信などをやったりしていく中で(※『THE ENTERTAINMENT STRIKES BACK』)、これはメンバーも同じ考えだったと思うけど、GLAYで安心安全にいきたかったんじゃないかな。「Into the Wild」以降のサウンドを掘り下げるという考えもあったけど、それは平時であれば…のことで、有事においてはそれどころじゃない。必要なのは食料だったり水だったり、安全や正しい情報。その意味で、(やるべきは)やっぱり「FRIED GREEN TOMATOES」のような音楽だったんじゃないかな。「SHINING MAN」を一個挟んだんだけど、あれは世の中がコロナ禍ではない、別の世界で響くべき曲だったんだと思う。そこでめちゃくちゃ修正して、「FRIED GREEN TOMATOES」にして、「青春は残酷だ」にして、「BETTY BLUE」にしようと、ギリギリで変えた……それは確かにあったな。
GLAY LAYER 28
「お決まりのベースフレーズ、手癖みたいなものに飽きてる」JIRO
僕、ここ数年で一番、ベースの練習をしてますよ(笑)。もう少し自分の中で新しい要素を取り入れていきたいという気持ちが強くなっているんですよね。今まではお決まりのベースフレーズ、僕自身の手癖みたいなものが個性だと思っていたんですけど、そこに飽きてるんじゃないかなと。なので、ベースの練習をしてるんですけど、やっぱりそれはプロデューサーの亀田誠治さんの影響がめちゃくちゃ大きいですね。亀田さんと(以前のプロデューサーである)佐久間(正英)さんとは同じベーシストでもタイプが全然違う。佐久間さんは曲のベーシックを支えるベースで、それでもちゃんと出るところは出る…みたいな感じがあったんですけど、亀田さんは“ベースだけど出るよ!”という部分がすごく強い人(笑)。亀田さんと仕事をして、ちょっとずつその要素を取り入れられるようになってきているんで、そこでバンドにとって新鮮味を与えていけたらなと思うんです。
GLAY LAYER 29
「1曲に対して4、5日かけて歌を作る」TERU
自分の家でデモを作る時に、とにかく部分々々で歌って、言葉と歌詞の内容をちゃんと汲んで、まず一個デモを作るわけです。で、そのデモを基に皆、レコーディングする。歌い方によってギターもベースもフレーズが変わってくるので、そういうところで、歌に関してはデモの段階で本番に近いクオリティで作るようにしてます。最近はレコーディングの時にインスピレーションで、パッと歌うことはほとんどないかもしれない。レコーディングでは2、3時間しか歌わないですけど、その準備段階として1曲に対して4、5日かけて歌を作ってます。今回のアルバムに関してもそうで、歌のクオリティだったり、表情だったりは事前に作り上げるものなので、その辺では大分、成長しているのかな。
GLAY LAYER 30
「HISASHIの悪影響」TERU
「Hypersonic」の歌詞を“このままで行きたい”って言われて、“マジ!? 変えないの!?”って。一瞬、TAKUROが何を感じているのかまったく分からなくなった(笑)。これはもうHISASHIの悪影響でしかないところはありますよ(笑)。“HISASHIがあれだけやってるんだから俺もやってもいいだろう”というね。ここ数年のHISASHIワークスは完全にGLAYの型から飛び出てて。ひとりで『タモリ俱楽部』に出たり、『関ジャム』も『相席食堂』もそうで、HISASHIはそういう新しいキャラクター作りをしていると思うんですけども、そこに影響を受けて、TAKUROはTAKUROでより自由な発想で楽曲を作れるようになっている。でも、“GLAYはひとつ時代を作り上げたわけだし、そろそろ自由でいいんじゃないか?”とも思うんですよ。GLAYという型を崩していきたい──そうは言っても、そこまで気張っているわけでもなく、“自然に崩していきましょうよ”という、肩の荷を下ろしたい感じがあったんじゃないかな。
GLAY LAYER 31
「Jロック、Jポップを背負ってみたい」TAKURO
俺ももう50歳で、あと何年、GLAYをやれるか分からないけれども、この25年間で作ってきたGLAYの楽曲は、まごうことなくJロック、Jポップの片隅で生きてきたもの。今、世界に通用する新しい音楽を日々、耳にしていますが、俺がこれから担うべきは、自分たちがやってきたJロック、Jポップをより進化させて、それを喜んでくれるかもしれない地球の裏側の人たちに届けられるまで頑張ることで、“ちょっとJロック、Jポップを背負ってみたい……もうそういう齢なのかもなぁ”と思ったんですよね。だから、あちこちに、分かる人が聴いたらクスっと笑っちゃうだろう、1980年代からの日本のロックのエッセンスがクイズみたいに隠れてて……それは言葉にしろ、アレンジにせよ、音にせよ、そうで。そうしたアーカイブ的なアルバムを作りたいなと思ったんです。それがGLAYの歴史でもあるしね。
GLAY LAYER 32
「“リーダー・TAKUROの喜び組”と一緒に」HISASHI
新しいスタンダードとは何か? それが今、エンターテイメントに求められていることのように思います。僕らは今回リモートレコーディングでニューアルバムを作ったんですけど、TAKUROの導く“GLAY”というものを信じましたね。そうは言っても、僕はメンバー内でも一番“神サポート”に期待する人なので、メンバーはもちろんのこと、スタッフやゲストミュージシャンの皆様と楽しく作り上げることが出来たと思いますね。結果的に変な衒い(てらい)みたいなエゴが良い意味で自然と馴染んで、こう言うと、つまらないかもしれないけど、今のGLAYっぽい感じも昔のGLAYっぽい感じもより増した作品になったという。“いかにその曲を好きでいられるか?”を考えて、“誰よりもこの曲へのアプローチを誰よりも良いものにする!”みたいなスタンスで挑んだ作品──言わば、“リーダー・TAKUROの喜び組”の皆様と一緒に楽しく作れた作品です(笑)。
GLAY LAYER 33
「俺なりのトリビュートってこういうこと」TAKURO
俺、トリビュートって好きじゃないんですよ。特にまだ活動している人のものは。例えば、サザンオールスターズのトリビュートがあるとして、俺はそこで弾きたいわけじゃなくて、サザンはサザンが演奏して、桑田(佳祐)さんの曲は桑田さんの声で聴きたいと思うから、あんまり進んでトリビュートものには参加しないんです。だから、(「Winter Moon,Winter Stars」は)“俺なりのトリビュートってこういうことです”というものですね。偉大なる先人たちからいただいた影響をこういった形で…という。そこにはブラックジョークもあるでしょうし、デフォルトもあれば、もしかすると間違った解釈もあるかもしれないけど(笑)、伝承ってそういうことなんじゃないかと俺は思う。勝手にトリビュート。怒られても耐えられるという自信が付いたからこそ出来るヤツ(笑)。
GLAY LAYER 34
「北海道への想いを吐き出させてくれる機会」TAKURO
“さっぽろホワイトイルミネーション”からのオファーを受けた時は、“北海道出身で良かったな”と思った瞬間でしたよね。自分からなかなか進んで書こうとはしない、いろんな北海道への想いを、こういった機会で吐き出させてくれるというか、整理させてくれるという。『Journey without a map』に「函館日和」がありましたけど、あれは道南。で、『Journey without a map Ⅱ』の「やすらぎのチセ」や、この「永遠を名乗る一秒」は札幌=道央ですよね。リバプールとロンドン、マンチェスターとロンドンのような距離感にある憧れを一滴垂らすとこうなるんです。函館にはないものをいつか手にしたいと思っていて、今そこを通り過ぎて想う時、それを手にしたのか、手に入らなかったのかは分からないけれども、未だに憧れの街としての想いだけは残ってますよね。
GLAY LAYER 35
「函館に居る心のゆとり、安心感が歌に反映」TERU
東京に居て“レコーディングに行こうか”となると、準備してスタジオまで運転して行って、スタジオへ入って喉を温めて、“さあ、録りましょう”ということになるんですけれども、函館では“じゃあ、明日とりあえず1時にね”ってことにしてても、皆で合宿しているので、11時くらいに準備出来たら、“ごめん、12時くらいから出来る?”みたいな感じで、自分のいいタイミングで歌える。で、終わる時も“今日はここまででいいや……あとは釣り行こう”みたいなこともあって(笑)。そういうところで、生活の中の一部となって、歌を歌うことが出来たので、すごくリラックスもしてる。函館に居る自分の心のゆとりというか、安心感というか、そういうものが歌に反映されるんだなっていうのはスタジオを作ってみて思いました。エンジニアの工藤さんも“何か違うんだよね”って言ってて、その“何か”は表現出来ないんですけども、何か違うんですよね。
GLAY LAYER 36
「“苦み”みたいなものが歌になればいい」TAKURO
五木寛之じゃないけど、人生は大河の一滴であることを突き詰めていくと、今、自分が悩んでいることも、かつて自分が悩んでいたことすらも、この世界の中では何もかもが取るに足らない。コロナとの闘いの中で、そのことをずっと考えてきて。沈みもしなければ浮かびもしない、ただ漂うだけの大河の一滴というか、海の上の一枚の木の葉のようなもの──その“苦み”みたいなものが歌になればいいなって思ったんです。大駱駝艦という前衛芸術集団があって、俺はすごく好きなんですけど、そこの主宰の麿赤兒さん──大森南朋くんのお父さんね──唐十郎さんとかと一緒にやってた人なんですけど、その人の自伝のどこかに出て来たんだよね、“漂えど沈まず”って。今を生きる人たち、特に俺自身に必要な言葉はこういうことかもしれないと思ってね。
GLAY LAYER 37
「俺はサボってるんじゃないか!?」TAKURO
日本に居て1日休みだったら、俺は大切なことを3つ、4つはするんです。スケジュールを埋めるというのかな。でも、ロサンゼルスに居ると、田舎なこともあって、1日にひとつだけ大切なことをしたら、その日はとってもいい1日ということになるんですね。日本だと1日にひとつだとドキドキして、“俺はサボってるんじゃないか!?”って気持ちにさせられる。この話が「Tiny soldier」のたとえとして言い得て妙だと俺は思います。自分磨きだとか、将来への投資だとか、不安を払拭するために皆、すごく頑張ってるんだけれども、皆、すげぇ疲れてるよね(笑)。その辺でロック担当のHISASHIがすごくいい仕事をしてくれました。俺の中ではこの曲と「Into the Wild」は同じフォルダに入っているんですけど、形にならない俺の想いをHISASHIが軽々と表現してくれてます。
GLAY LAYER 38
「アルバムの中でも異彩を放つ2曲」JIRO
TERUが“一緒にやりたいから、個人的にオファーしていい?”みたいな感じで、事務所も通さずにダイレクトメールか何かでTomi Yoさんにアポイントとって、ご本人もびっくり…みたいな(笑)。僕、あいみょんはすごい好きでよく聴いてるんですけど、Tomi Yoさんが絡んでいることは知らなくて、名前も知らなかったんですよ。で、「BAD APPLE」のオケが上がってきて、“あれ? もしかしてこのサウンドは…!? ”みたいな感じで、初めてあいみょんと繋がったという(笑)。YOW-ROWさんの「Holy Knight」も打ち込みですけど、同じ打ち込みでもTomi Yoさんとはベクトルが違うというか、「Holy Knight」の方がヘヴィロックバンドの打ち込みという感じ。アルバムの中でも異彩を放つ2曲なので、そのコントラストがおもしろいと思いますけどね。
GLAY LAYER 39
「いろんな血を入れていくことで、どんどん可能性が広がる」TERU
“こんだけ才能のある人たちが周りにいるんだから、遠慮して一緒にやらないのはおかしいよね”という。その純粋な想いで僕はTomi Yoくんに声をかけたし、HISASHIはヨウイチロウくんに声をかけて一緒にやったし。そこに関しては、プロデューサーの亀田(誠治)さんには遠慮しなかったですね。亀田さんと一緒にやってきて感じるのはGLAYを作るのが上手だなということで、GLAYらしいGLAYを作ってくれる。4人の関係性を見てきて、あんまり崩したくないところが出て来ていると思うので、そこを何とかして自分たちで壊したいという気持ちがちょっとあるかもしれないですね。だから、俺は俺で、Tomi Yoくんに話を振った時も、“コード感も崩していいんで”って、TAKUROの曲だけど勝手に言わせてもらって(笑)、GLAYはいろんな人たちとやることによって、いろんな形に変えられる、すごい柔軟性のあるバンドだから、今後、いろんな血を入れていくことによって、どんどん可能性が広がっていくんじゃないかと思いますね。
GLAY LAYER 40
「新たな才能との出会いに感謝」HISASHI
新たな才能との出会いには感謝しかないです。“時代に鳴る音があったら一緒に奏でてみよう”という、清らかな一歩のイメージですね。温故知新という素晴らしい言葉を信じ、“勇気を持って新たなクリエイターと共鳴しよう!”という晴れやかなる希望を止める声があったら、GLAYは早い段階で詰んでいたと思いますよ。「Holy Knight」のアレンジャーのYOW-ROWくんとは『hide TRIBUTE IMPULSE』で共演して(※“HISASHI×YOW-ROW”として「DOUBT」で参加)、“GARIのコンセプトや音楽性の高さをGLAYにスライド出来たらおもしろいのかも…”と思ってメンバーに相談して。スタジオでToshiのドラムとも合わせてみたんですけど、“YOW-ROWくんの世界観を全面に出そう”ということで全編打ち込みとなりました。イメージにブレはなかったですね。非常に満足しております。“ライブでどう表現するんだ!? ”って訊かれても今は何も言えない状況ですが……(苦笑)。
GLAY LAYER 41
「“フレディ・マーキュリーの迷いや揺れを感じる”と」TAKURO
「Holy Knight」は「Satellite of love」(※10thアルバム『GLAY』収録)と一緒に、押井守監督との仕事の候補曲として俺とHISASHIで作ったんですけど、新潟の長岡で出来たんですね。だから、仮タイトルは“長岡守”だった(笑)。今回の選曲の時に引っ張り出してきて。新しいサウンドクリエイターであるヨウイチロウくん(=YOW-ROW)と一緒にやりたいというHISASHIのアイディアもあって、かなり斬新なアレンジを施してもらって、今までになかったGLAYのサウンドになりました。スタジオで亀田(誠治)さんと話してたら、“何となくQueenのインテリジェンスなところ、フレディ・マーキュリーが持っていた迷いや揺れ、彼のしてきたこと、作ってきた音楽を感じるんだよね”って言われて。あと、“今の世の中が解決しなくちゃいけない問題みたいなことを感じる”と。なので、当初は“Holy night”だったんですけど、やっぱりそれは一般的にクリスマスの感じになっちゃうから(笑)、もう一歩踏み出したいということで、このタイトルに改題したんです。
GLAY LAYER 42
「受けた刺激をすぐ返せるバンド」JIRO
「BAD APPLE」も「Holy Knight」もデモではシンセベースで入っていたので、最初はどうやって絡んでいこうかなと思ったんだけど、1年半くらい前に僕のラジオ番組でヒゲダン(=Official髭男dism)の楢﨑(誠)くんと対談したんですよ。ヒゲダンって生ベースとシンセベースをすごく上手く融合したサウンドなんで、“あの振り分けってどうやってんの?”って訊いたんです。そうしたら、そこはきっちり考えているわけじゃなく、流れの中でアレンジしていくと、すごく柔軟に考えていたんですよ。それがあったんで、僕も“ここはシンセベースに任せよう”とか、“ここはシンセベースっぽい感じのベースを自分で弾けるな”とか、“俺はGLAYのベースだから、全部、意地でも弾くぞ”みたいな感じではなかったんですよね。僕たちは受けた刺激をすぐ返せるバンドだったりするんですよ。
GLAY LAYER 43
「人は希望を欲しがる」TAKURO
長く生きてきても、まだまだ分からないことだらけだけど、分かること、胸を張って言えることも増えてきたところはありますよね。例えば、“分からないことは分からない”ということがよく分かるとか、願えば叶うというものの脆さとか。その中で、諦めながらも何かに光を見つけられるわけでもない毎日を暮らしている人たちがいるし、自分もそのひとりだと思うしね。こんなに恵まれている環境でありながら、外からじゃ分からない、それぞれの不安とか涙はやっぱりある──今回のアルバムはそこが強い。だからこそ、自分自身でも(「桜めぐり」が)ほしかったんだと思う。“これは要るのか!?”と議題に上がりましたけど、“これがないと辛いんです”と。人って欲しがるよね、希望を(苦笑)。そんなものあるんだか分からないのに。でも、それでいいと思うし、そこには素直に従いたいと思う。
GLAY LAYER 44
「世界にひとつしかない独自の進化」TAKURO
(日本は)海外から来たものを日本的に加工することは本当に得意ですよね。フレンチを日本人向けに美味しく加工したり、あらゆるものを日本人にフィットさせている。それはロックも一緒で。そこでの日本人の仕事ぶりって、俺はもっと胸を張っていいと思うんですよね。ただ、今は海外では売れないってだけでね。日本独自の進化を遂げて、このまま突き進めていった時、世界にひとつしかない珍しい音楽として花開く時が来るんじゃないかと思うんですよ。決して洋楽に媚びた形じゃないものとしてね。でも、それはまだ20年はかかると思っていて。だから、俺たちが今できることというのは、洋楽に寄せて洋楽ファンに受けることじゃなくて、せっかく先人たちがここまで丁寧に育て上げたJロック、Jポップを自分たちも引き継いで丁寧に磨き上げて、世界中のどのミュージシャンの追随も許さないくらい純度の高いJロック、Jポップになった時、その時が出番だと思ってます。